欧米(一神教文化圏)と、日本(多神教文化圏)では「無神論」の意味が違うという話。

仕事で欧米の人とたまにやりとりすることがあって、なんとなく気づいたこと。
一神教圏の人たちって、そもそも「神」の意味が違うな…?

というか、英語でいうGodと日本のKamiは別物なんだよ。というところから話を始めたほうがいい気がする。


■一神教の神は文字通り「ただ一人」

欧米圏は移民も増えているが、多くはキリスト教かイスラム教だと思われるので、いちおう「一神教文化圏」としておく。
彼らの信じている神様は、全知全能の創造主である。旧約聖書か新約聖書かコーランかは別として、それらの聖典に書かれている「主」だ。それ以外の神はいない。

つまり、一神教圏の人たちが「無神論」と言って否定する神は、ただ一人だけ、その「主」だけなのである。


■日本人にとっての神は山ほどいる

それに引き換え、多神教である日本の神はそれこそ八百万と言われるくらいに存在する。
ということは、「神はいない」として否定するのは、それら全ての神である。否定のレベルが違う。
さらに日本の神々は、森羅万象のあらゆるものに宿るとされている。何しろ米粒のひとつひとつの中にも宿っているくらいである。

日本でいう「無神論」は、森羅万象の中に宿る全ての神秘を否定する行為なのである。


■文化圏によって生ずる「無神論」の食い違い

そもそも否定している範囲が異なるのだから、同じ無神論者でも認められる範囲が異なる。或いは、世界に対する覚悟が違う。
ただ一人の「主」だけを否定しているのなら、それ以外の存在、たとえば精霊や妖精はアリということになる。

一神教圏の人々で、たまに無神論者なのに日本の神や妖怪が大好きな人がいるが、そういうことなのである。彼らは、世の中に存在する超常的なものや異形の存在の全てまでは否定していない。全知全能の神は存在しないが、米粒に宿る神(精霊のようなものと解釈される)は存在してもいい。それが、神が一柱しかいない世界の「無神論」の感覚だ。

一方で多神教の日本人が「無神論」だと言うと、超常的なものや異形のもの、すべてひっくるめて否定する。この世の中に科学的に証明出来ない不思議なことなど何もない、くらいの勢いである。ヘタすると運命や偶然のようなものまで否定する極端な人も見かける。全然レベルが違うのである。

このロジックが、おそらくこのへんの結果に通じているのだと思う。

日本の無神論者は最も「超自然を信じない」──6カ国での大規模調査
https://www.newsweekjapan.jp/stories/world/2019/06/6-50_1.php

日本で「神を信じない」を選択する人の中にも、「まぁいないと思うけど、もしかしたら神っぽい何かはいるかもしれない」とか、「神はいないと思うけど、不思議なことは起きる」くらいのゆるふわ組と、「神も奇跡もないんだよ」くらいのガチ勢がいる。後者は本当に、この世の不思議の全てを否定する考え方をする。

無神論の発想は一神教圏から始まったと思われるが、世の中で最もその思想を突き詰めているのは、森羅万象に「神」を見出してきた多神教文化圏だと思うのだ。