テーマは面白いけど無難にまとめすぎてる感じ。「ファラオのリーダーシップ」

連休だし何か読むかねーみたいな感じでポチポチしてたらkindleオススメに上がって来てたのでとりあえず読んでみた。
電子書籍は本屋に行かなくても買えるから楽。

ファラオのリーダーシップ 古代エジプト王たちの決断 - 山花 京子
ファラオのリーダーシップ 古代エジプト王たちの決断 - 山花 京子

タイトルのとおり古代エジプトの王たちのリーダーシップについての本で、着眼点としては面白かったのだが、内容は薄く一般的すぎる感じ。メジャーな王たちがいかにリーダーシップを発揮したか…という話なのだが、

まず現代のリーダーシップ論として、リーダーには色んな種類がある、とされている。
カリスマで自分からガンガン引っ張っていく人、部下たちの支持を獲得してフォロワーの力でリーダーになる人、人を使うのが巧く優秀な部下を抱えるのが得意な人。そうしたパターン別にファラオたちを分類していくのかと思ったらそういうわけでもなく、社会学の祖であるマックス・ウェーバーが出てきたり、一昔前に流行ったドラッカーが出てきたりと、何だか有名どころを少しずつ齧った感じが否めない。

またそもそも現代社会と古代社会は社会構造が違うので、リーダーシップやマネジメントの意味も全然違っていたと思うのだ。
現代の用語や定義を古代世界に適用する場合は、よくよく慎重ならないと、上っ面だけ舐めて終わってしまうのだ。


あとこの本の根本的な問題として、古代世界の情報はとても少ない、ということが挙げられる。
よく判らない社会について、断片的な歴史記録だけを元に論じようとしても、そもそもが机上の空論にしかならない。内容が薄く感じた原因の一つがそこ。神殿の碑文や一部の書簡くらいしか残っていないのに、数千年前の王のリーダーシップについてなんて語れます…? 無理なんですよね。
そして残されてる文書ってあくまで「公式の」ものなので、実態と合ってるかどうか微妙なんですよ。

古代エジプト人の社会規範について、「xxの訓戒」のような教訓文学シリーズを根底にして論じていて、たとえば「古代エジプト人は目上の人に逆らわないものでした」のような断定をしているけれど、教訓文学はあくまで「かくあるべき」という理想論であって、実際そうだったかどうか微妙だと見做すべきだと思う。現実社会だってそうじゃないですか。壁にデカデカと「あいさつをしっかり! 人の嫌がることはしないように!」って書かれてるってことは、要するにそれが理想だけど出来てない人もいる、って証拠でしょ。

後世の歴史家が、道徳の本に書かれている内容を資料に「日本社会はこういう社会でした」なんて論じたら、とんでもない思い違いをすることになるわけですよ…。

なので、この本だと、前提となる当時の古代エジプト社会の理解からして「仮定」でしかなく、その上でさらに断片的な情報しかない各ファラオについて論じてしまっている微妙すぎる状態になってるのだ。
正攻法で研究するならこうなるしかないんだろうな、とは思ったが…。
どうせリーダーシップについて論じるなら、もっと尖った感じで深く踏み込んでほしかったなあ…。
せっかくリーダーシップとマネジメントが云々とか、面白くなりそうな切り口もあるのに、無難な方向にまとめようとしすぎている気がした。



もし私が同じテーマで本を書くのなら、対象となる時代は古王国時代、第二中間期、新王国時代、末期王朝、プトレマイオス朝と時代をバラけさせて、まずそれぞれの時代の社会の特徴と時代背景という条件を仮で設定し、「その時代/その条件でリーダーに求められる資質は何か」を想定、各時代の代表的な王がその資質をどのくらい持っていたか、という構成にすると思う。

新王国時代の王は確かに資料が多いのだが、ぶっちゃけ第18王朝だろうが第20王朝だろうが社会構造や時代はそれほど大きく変化しないので、論じる幅が狭くなってしまう。それじゃ面白くないし、たぶん古王国時代のピラミッド作ってた時代に必要とされたリーダーシップは、プトレマイオス朝のそれとは相当違うはずだし、「マアト(社会秩序)」の捉え方も、180度まではいかなくても270度くらいは違うんじゃないかと思っている。