紀元後1世紀、ヘレニズムの時代にエジプトからエチオピアへ輸出されていたもの。

エチオピアは実はヘレニズム世界の端っこに属している。

と言うとなんだか不思議な感じがするが、グレコ・バクトリア王国やアレキサンダーの遠征の都合でインドについても同じことが言えたりするので、案外広い範囲を示す言葉なのだ。

で、そのエチオピアに、エジプトを通じて地中海世界から何が輸出されていたのか、という話である。
前段としては、以下の過去記事を参照。

アクスム石柱群とエジプト風遺物の関係
https://55096962.at.webry.info/201905/article_5.html

アジス・アベバの国立博物館/考古学遺物に足りない説明を加えてみた
https://55096962.at.webry.info/201905/article_17.html

エチオピアに行ってみると、ギリシャ遺物でおなじみのアンフォラや、エジプト遺物でおなじみのスカラベなど、なんか見たことあるやつがあちこちで見られる。かつてのアクスム王国の首都だったアクスムには、ギリシャ語碑文もあるし、南アラビア語碑文もある。実際にギリシャ系の商人が航海経由でアクスムまで来ていたし、海を挟んですぐ対岸の南アラビアとも交易していたからだ。

しかしエチオピアさんあんまり発掘とか進んでいないので、見つかるものはごく限られている。
博物館の展示にもほとんど説明ないしね…。


というわけで、ちょっと紀元後1世紀の交易商人の記録からひっくり返してみた。

エリュトラー海案内記 1 (東洋文庫) - 勇造, 蔀
エリュトラー海案内記 1 (東洋文庫) - 勇造, 蔀

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ギリシャ人商人が「アクソーミテース」と呼んだ場所がアクスムのこと。
アクソーミテースの王はギリシャ語を解する、との記述も出て来る。輸出されている品は以下。交換される輸入品は象牙や亀甲、犀角などになっていて分かりやすい。

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面白いのは、アクスムの王に対する献上品に、わざわざ「純正だがそれほど値の張らない」とついているところ。偽物ではないが、それほど質の良くないものを出していたと解釈できるので、当時のアクスム王国の宮廷は、地中海世界ほど贅沢三昧ではなかったということか。

あと、輸出されていたはずなのに見つかっていない品がガラス。
金属製品は、さすがに残っていたとしても鋳造され直して別のものになっていそうだが、ガラスの欠片くらいは出てきたりしないものだろうか…。海岸沿いの交易地からはいくらか見つかっているようだが、アクスム周辺でも探せばありそうな気はする。



ちなみに紅海航路が廃れる3世紀くらいになると、ローマの代わりにアクスム王国が航海の出口を抑えて南アラビアに進出していくようになる。
で、その後数世紀を経て、勢力を得てメッカまで攻め上ろうとしたという話が、コーランにある「象」の章のエピソード。
その前段となる時代が「エリュトラー海案内記」に書かれている内容ということになる。

エチオピアの歴史や考古学的な調査の資料は、紀元前後のあたりの資料がほとんど見つからず、出て来ても初期のキリスト教伝播に関するものが多いのだが(たぶん発掘者にヨーロッパの人が多いせい)、古代王国の交易や力関係も面白そうだと思うんだよなあ。あとアフリカ内陸部の国だからといって、べつに孤立はしていないし、イメージよりもずっとグローバルな国際社会の中に位置していた。海は文化圏を繋ぐものである、とはよく言われるが、まさにそうなのだと思う。