海外の「ブルカ禁止」にまつわる、最初に知っておくべきこと。

ここのところ、色んな国でイスラム教の「ブルカ禁止」という法律が成立しつつある。
これに対して、治安上仕方がない、とか、女性を抑圧するような決まり事は無くしたほうがいい、という声もある一方、宗教の自由があるのだから考慮されるべきだという声や、イスラム教に対する冒とくではないのか、といった声もある。
しかしその議論をする前に、まずは基本的な知識が無ければ何も始まらない。前提となる知識が間違えていれば、対立する主張に意味がなくなるからだ。


というわけで、「そもそも」の話をしておきたい。
書きたいことは、5点だけだ。



●多くの国で禁止されようとしているのは「ブルカ」「ニカブ」であり、イスラム教徒の女性の被り物全てではない

どう違うのかというと、ほとんど顔全部を覆ってしまうものがこの二種類である。
頭からすっぽり黒い布をかぶり、目さえも見えないものがブルカ。目だけ見えているものがニカブ。わりとマスメディアでもこれ間違えてることが多いのだが。
なお、よく見かけるスカーフを巻いたスタイルはヒジャブといい、これは禁止されていない国が多い。

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https://www.swissinfo.ch/jpn/%E6%AC%A7%E5%B7%9E%E3%81%AE%E3%83%96%E3%83%AB%E3%82%AB%E7%9D%80%E7%94%A8%E7%A6%81%E6%AD%A2%E5%95%8F%E9%A1%8C_%E3%82%B9%E3%82%A4%E3%82%B9%E3%81%A7%E3%82%82%E3%83%96%E3%83%AB%E3%82%AB%E7%9D%80%E7%94%A8%E7%A6%81%E6%AD%A2%E3%81%AE%E5%8B%95%E3%81%8D-%E3%82%A4%E3%82%B9%E3%83%A9%E3%83%A0%E5%A5%B3%E6%80%A7%E3%81%9F%E3%81%A1%E3%81%AE%E5%8F%8D%E5%BF%9C%E3%81%AF/42491206

ただしフランスについては、宗教を感じさせるものは全てNGだということで、ヒジャーブでも禁止になっている。


また、イスラム教徒の女性たちの被り物は、国によって実に様々だ。
ほとんどの国/地域では髪だけ多い、顔を出している。実際のところいうと、イスラム教徒の中でも、ブルカやニカブにこだわりのある人のほうが少ない。まず風土に合わないし、文化的にもごく一部の地域だけが採用しているスタイルになる。


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https://seiwanishida.com/archives/6992



●コーランには、女性のどこを覆うべきか、といった記述はない。「ブルカ」は実は独自解釈に基づく地域文化

どうしてこんなに国/地域ごとに違うのかというと、そもそもコーランにはそこまで具体的な記述がなく、各自でバラバラに解釈しているからなのだ。
女性がどこを隠すのか、どれだけ隠すのかは、宗派の違いというよりは国/地域による。そして厳密に守らなくてはならないものではないので、国境を越える時にヴェール被ったり脱いだりする姿もよく見かける。
コーランにあるのは「女性の美しいところを隠しておきなさい」という記述であり、美しいところ=顔のすべて、と解釈すればブルカのようになる、というわけだ。

従って、ブルカやニカブにこだわる人にそれを禁止することは、イスラム教の教えに背けと迫るような話ではない。どちらかというと、好みや、その人の属する氏族社会の信条になる。



●イスラム教のヴェールには本来、女性を抑圧する意味合いはない

これについては、サウジアラビアで調査した日本人の記録などもあるので、例として以下の本などを参照してもらいたい。

サウジアラビア、オアシスに生きる女性たちの50年: みられる私よりみる私 - 縄田浩志
サウジアラビア、オアシスに生きる女性たちの50年: みられる私よりみる私 - 縄田浩志

ヴェールを被ることで、女性たちは周囲に値踏みされる存在ではなくなり、視線からも解放される。ヴェールの中からは良く見えるのに、外からは見えないのだ。ヴェールを被ることで解放感を感じるという意見である。これは、仕事で外に出る時は化粧をしなくてはならない、といった外圧に晒される、現代の働く女性たちにとっては、ある意味で羨ましいことかもしれない。他人に見せるためではなく、自分のために、黒い布の下では好きにオシャレが出来るのだ。

ただし、ブルカやニカブが一般的な社会では、女性が社会に出て働くことはあまり望ましく思われていなかったり、そもそも女性が一人で遠出することが許されていなかったりすることが多い。女性の肌を覆うことに熱心なイスラム教国ほど、女性を「大切に家に隠しておくもの」として扱う傾向がある。

女性が見た目を気にしながら家の外に出るのがいいのか、誰からも評価されることなく姿を隠して暮らすのがいいのかは、どちらとも言えない。


●実は厳格な国の幾つかは、ブルカやニカブが導入された時代が新しい

イランやサウジアラビアが分かりやすい。イランはイラン革命後に、伝統復古や西洋社会との差別化をはかるために女性の姿を隠すことが厳格化された。それまでは女性たちは洋服姿で、西洋人のようなスタイルで出歩いていた。
サウジアラビアでも、よくテレビで見かける男女の姿は王族が数十年前に確立させた「新しい伝統」スタイルだ。女性たちは、昔は黒い布ではなく、色とりどりの派手な格好をしていた。

つまり、現在戒律の厳しい国のかなりの部分は、かつて緩かったのを故意に引き締めたからそうなっているのであって、「イスラームの教が広まった古来から連綿と続く伝統の格好なので絶対に変えられない」というようなものではない。(本当に厳格に守り続けてきた地方などもあるかもしれないが)

また、アフガニスタンのように、近年になって過激派が女性たちにブルカを押し付けようとした事例があり、そのイメージから、ブルカに女性を抑圧するニュアンスを感じている人も多いではないかと思うが、これはイスラム教の問題というより過激派の問題だと思う。



●なぜイスラームの女性は被り物をするのか

コーランはそれが成立した当時の教えである。男がホイホイ離婚するのは良くない、とか、孤児の面倒を見なさい、とか、未亡人の扱いはどうするべきか、といった女性の権利に関する規定は、現代から見ると古臭く無意味なかもしれないが、成立当時の社会においては画期的で人道的なものだったのだと思われる。

かつて部下の美しい妻をえらい人が無理やり自分のものにしてもお咎めなしだったような時代においては、女性の顔は隠されてあるべき、という概念は、社会を円滑にするために必要だったのではないかと思う。
その教えに、現代では女性たち自身が「男に見られるために化粧するのではない。大事な人にだけ真の姿を見せられればそれでよい」のような新たな価値観を付与している状態と言える。

いずれにしても、被り物をすること自体は文化的なものであり、部外者が頭ごなしにどうこう言う問題ではないだろう。


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というわけで、ブルカを禁止することはイスラム教全体の否定にはならない。

また、ブルカやニカブは男性社会からの一方的な押し付けではないので、「女性の顔を隠すような風習は無くなったほうがいい」という意見は間違いだし、宗教的に絶対のものというわけではないので「ブルカやニカブを禁止するのはイスラム教に対する侮辱だ」のような意見も過激すぎるということになる。

それから、イスラム教徒の風習も様々なので、ブルカを禁止されて習慣を変えなくてはならない人は、かなり少ないと思われる。


以上を考えた場合に、ブルカやニカブが一般的ではない国では禁止されても、ある意味で仕方がないと私は考えている。
全身を覆って出歩く人が社会に増えた場合、なんとなく怖い、という意見や、この姿を隠れ蓑にして女性になりすます男性が現れたりしかねない。この姿で犯罪を行う者が続出すれば、かえって差別を助長するようなとにもなりかねない。


そしてそもそもの話をすれば、ブルカやニカブを禁止しようしている国では、それらを被っている人たちは「外来者」なのだ。


円滑な文化交流とは、相互作用の結果である。
うまく交流するためには、異文化を受け入れる側が努力しなければならないのと同じように、受け入れてもらう側はそれなりに妥協しなければならない。

つまり移民の場合は、移住先が妙な偏見や差別意識を持ってはならないのと同じように、移住者側も、移住する先で受け入れてもらうための努力をしなければならないのだ。

顔や姿を隠したままで余所者が円滑に受け入れられることは、まずない。人間も動物だ。姿が見えない余所者に怯えること、警戒することは当然の反応なのだ。生物として当然の反応を否定するのは机上の空論で、時間の無駄にしかならない。



差別とは、無知と無責任から生まれる。


差別について声高に叫ぶ人がかえって差別者になってしまう理由の一つが、ここにある。
そもそもの知識もないのに誤った知識を叫んでしまう「無知」、あるいは知識はあっても、世間に問題提起することだけが目的になってしまい結果に責任を持たない「無責任」。

全ての他人を身内ととらえることは不可能なので、人間は基本的に一定の領域より外側については無責任にならざるを得ない。だが、「無知」の部分については、ほんの少し知識を得るだけで回避できる。私がここに書いた内容はほんのさわりに過ぎないが、最低限、「無知」な状態を回避できるものになっていればいいなと思う。