アルジェリアに古代エジプト王ショシェンク一世の像が立ち、物議をかもす

ヒャッハー! 古代エジプト王がアルジェリアまで征服したぜー!

という話ではなく、ベルベル人系のエジプト人と考えられている古代エジプト王、ショシェンク一世(※かつてはシェションクと読まれていた)の像を、ベルベル人の多いアルジェリアの街に建ててみた、という話らしい。それに対してアルジェリア人は「なんでうちの国にエジプトの王の像が立ってるんだよ!」と言い、エジプトとアルジェリアの中間にあるリビアの文化庁は「ショシェンクの出身地はうちの部族だ」とクレームをつけているらしい。 うん…? なんだかよく判らなくなってきたぞ。


まずは写真を見てみよう。
なんか思ってたよりえっらい立派である。 ていうか…誰…?(笑)
現代風だしめっちゃファラオだし、建ってる街がアルジェリア山間部なので背景と全く合ってない。いやこれ誰得なんだよ。

Edification d’une statue du roi berbère Sheshonq à Tizi Ouzou : la Libye réagit
https://www.algeriepatriotique.com/2021/01/15/edification-dune-statue-du-roi-berbere-sheshonq-a-tizi-ouzou-la-libye-reagit/

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場所はココ。
ティジウズー(Tizi Ouzou)という街らしい。うん、エジプト全然関係ないね。ていうか古代エジプトの範疇からもかなり外れてるね。

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日本語記事によると、この像は"自治体が2人の若手芸術家に制作を依頼した"ものらしい。
そしてアルジェリアとエジプトのツイッターユーザーが「いやこの人エジプト人やんけ」と反応した、というわけだ。

アルジェリアでファラオ像設置、歴史めぐる論争に
https://www.afpbb.com/articles/-/3326031?cx_amp=all&act=all

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ところがここに、何故かリビアさんが参戦した。

ショシェンク1世はリビアの amazighe(ベルベル系部族)出身だというのがリビア文化庁(※便宜上こう呼んでおく。政府系の機関)の見解で、リビア人王だというのだ。確かに第22王朝はリビア系移民によってひらかれており、別名としてリビア王朝とも呼ばれる。ショシェンクという名前もエジプト語ではなく、ベルベル語で解釈できる名前になっている。しかし、だからといってショシェンクさんがリビア人であったわけではない。

何故かというと、移民してきた人々の子孫、と考えるのが妥当だからだ
キャリアからしても、たぶん彼はエジプト生まれだと思う…。

そもそもショシェンクさんがなぜファラオになれたかというと、前の第二十一王朝のプスセンネス2世のもとで将軍をしていて、プスセンネス2世の娘と結婚したから。つまり第二十一王朝と第二十二王朝は、血統という意味では繋がっている。そして王宮内で高い職に就けており、スムーズに政権移行が為されているからには、言葉や文化がある程度まで同化しており、現地のエジプト人に同胞として認められていた可能が高い。

当時のエジプトには同じように各地から移住してきて住み着いた色んな部族がおり、ヌビア系もいればアジア系も、ギリシャ系のようないわゆるヨーロッパ系もいる、という状態だった。彼らの中には出身部族名とエジプト名の両方を持つ者もいた。だから、エジプトで王になった人物は、「リビア系エジプト人」とは呼べても、「リビア人(要するに外国人)」と呼ぶのは正確ではないと思うのだ。



いやしかし、なんか色々と、ややこしいことになってんな…どうしてこうなった。
ショシェンクさんもまさか、死後3000年近くも経ってから、隣の国と隣の隣の国で経歴の取り合いっこされるとは思ってもみなかっただろう。ていうかなぜ取り上げたのが彼なんだ。エルサレムまで遠征したと旧約聖書に書かれているからなのか。謎だ。色々と…謎過ぎる…。