水中考古学の本にたまに出て来る、「クルナの災難」について調べてみた

クルナの災難とは、フランスの探検隊が発掘で得た遺物をイカダで運んでいた最中に、現地住人の襲撃を受けて水没させてしまった事件である。
場所はティグリス川とユーフラテス川の合流地点であるクルナ(Qurnah)付近、発生は1855年5月23日。これにより、ルーブル美術館や大英博物館が手に入れるはずだった貴重な多数の遺物が喪失し、現在に至るまで発見されていない。

これが水中考古学の本に出て来るのは、50年ほど前に日本から川の中に沈んでいる遺物の調査協力に出かけたからである。
(↓にある「(10)海外調査への協力」の項を参照)
http://www.ariua.org/archaeology/in_japan/steps4/

そのレポートがあったので、少し詳しく調べてみた。
https://www.jstage.jst.go.jp/article/jorient1962/15/1/15_1_1/_pdf/-char/ja

レポートでは第一次となっているが、やったのはこの回のみ。当時のイラクは英仏と断交しており、また両国に引き上げさせると遺物を持っていかれる懸念もあったことから日本に協力を依頼した、というわりと政治的な事情でもあるようだ。

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水没した遺物の内訳はこのようになっている。
後日引き上げられて持ち帰られたものもあるが、失われたものも少なくない。石像ならば腐らないし、川底にあれば見つかるはずということでそれらを探しにいったわけだが、沈没後100年以上も経ってからの調査では、残念ながらどうにもならなかったようだ。

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調査では船に積んだレーダーが使われていたが、その装置の特性上、船で行ける水深が3.5m以上のところしか探れず、実際に遺物を積んだイカダが沈没したと思われる浅瀬には入れなかったという。また、おそらく100年の間に河川が少しずつ移動しているはずで、当時の河川が分からないと場所も特定が難しいようだ。
いずれにせよ、川底には堆積物がかなりあるだろうから、偶然の導きでもなければ発見は難しいように思われる。


しかしそれにしても、この事件の起きた時代というのは、フランスやイギリス(そしてドイツも)があちこちの国で遺物を漁りまくっていた時代なんだよなあ、とシミジミと。悲劇で災難ではあるものの、そもそも輸送をしていたフランス側もほぼ略奪のようにして遺物を運び出している。そして大国同士で山分けしようとしている。現地の役人は、とりあえず賄賂と関税を支払ってくれればそれでいい。それが当たり前だった時代なわけで、なんとも言えない気分になる。

今はもう、発見された国から遺物がどんどん持ち去られる時代ではない。もし今からの時代に遺物が見つかれば、イラクに飾られることになるのだろうか。目立った成果なく終わってしまったこの調査の続きが行われる日は来るのだろうか。