デイル=エル・バハリの「神官の門」<THE GATE OF THE PRIESTS>  ※遺跡名

エジプト本見てたらいきなり「ゲート・オブ・ザ・プリースツ!!」とか魔法の技名みたいなの出て来て何事かと思ったけど、よくよく見たらバーブ・エル・ガスス(Bab el-Gasus)の英語訳名でした。

これが何かというと、王家の谷のロイヤル・カシェ(王族ミイラを一か所に集めて隠したもの)に対して、神官や貴族たちのミイラを集めて隠した隠し場所のこと。王家の谷のお隣、デイル・エル・バハリで見つかっている。しかもハトシェプスト女王の葬祭殿の第一中庭の北側を転用して、後世に作られた。
ハトシェプスト女王の葬祭殿はご存知、テーベの対岸にあるあの目立つ遺跡だが、向かって右手のほうにその墓は作られていた。


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https://www.egypttoday.com/Article/4/3118/The-Most-Famous-Ancient-Egyptian-Site-You-Have-Never-Heard

「北」の方角は↑の図で確認


作られたのは第21王朝時代。中におさめられていたのは、主に対岸テーベのアメン大神殿に務めていた神官たちのミイラ。そのため「アメン神官の墓」とも呼ばれる。
幅は2mだが奥行きが90mもあり、見つかった棺は153。さらにそれぞれの棺が二重三重だったり、ステラや扇、シャブティ像など副葬品がついていたりするので、ここから出て来たものはかなり膨大な量になる。そしてそれらは、今、世界各地の博物館に分散してしまっている。主要なところでは、オランダのライデン博物館、ヴァチカン市国のヴァチカン博物館、フランスのルーブル博物館など17カ国、

発見当時の記録がほぼ無い上に、かなりテケトーに番号振ってこれだけの国にバラ撒いてしまったという状況を想像してみると、なぜいまだに統合的な研究があまり進んでいないのか、という理由も判ろうというもの。
何が当時のまま残ってて、何が無くなってしまったのかも分からないし、ミイラと棺の組み合わせ間違えたままのものもあるとか、とにかくめちゃくちゃで、調べてみると「そりゃ統合資料が見つからんわけだ」と泣ける。っていうかエジプトあるある…である。

発見されたのは1891年。当時はそんな感じでテケトーだったということ。

しかも発見の経緯が、盗掘を生業としていたラスール一家からのリークだというから、まあ…発見当時、手付かずではなくて、長年のうちに既に売っぱらわれてしまってたものもあるんだろうなぁと…。


1800年代~1900年代のはじめに見つかった遺跡は、のきなみ発掘時の記録が無いか不十分で、遺物の保存状態も悪かったり、一部無くなってたりするのでちょっと調べるの大変。最近まで発見されずにいられたものは、むしろ幸せだったのかもしれない。