ペルー北部の世界最大級の生贄遺跡、最終的に227人発見される

なんともすさまじい人数…。
4歳~14歳の子供227人が心臓をえぐられて埋められている遺跡が、ペルー北部(リマの北の海岸沿いの砂漠)で見つかったという。
近くには200頭ものリャマも埋められており、こちらもかなりの数。

At Least 227 Slaughtered Children Found at World's Largest Child Sacrifice Site in Peru
https://www.livescience.com/worlds-largest-child-burial-site-chimu-peru.html

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600年~800年くらい前とのことなので、インカ帝国が成立する前、おそらくチムーの生贄だと推定されており、これだけ大量の生贄を捧げた理由は、深刻なエルニーニョ現象の影響があったからではないか、とも。ペルーで生贄というとインカ帝国を連想する人も多いと思うが、この習慣自体はインカ以前からあり、むしろ数的にはインカ以前のほうが大規模だったように思われる。

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さて、ここからは考察となる。
生贄で天候が変わるわけがないのに生贄なんて無駄で残酷なことを何故やるのだろう、と現代人は思ってしまうかもしれないが、これは飢饉に面していたなら合理的な行動だと自分は思う。大量の生贄は、実際は口減らしの理由もあったかもしれないのだ。

雨が降らず、草が生えない、食料が出来ない。となると、飢え死にを避けるために家畜の数も人間の数も減らさねばならない。ただ減らすだけでは空しい殺戮になってしまう。だがもし、「神に捧げる(神々にお返しする)」という"大義名分"をつけられたら、気持ちが楽になるのではないだろうか。

私は、宗教というのは元々、人間がよりよく生きるために生み出した思想だと思っている。
耐えがたいほど辛い出来事や、悲しいこと、挫けそうなことに出会った時、なにか超然とした存在を想像して、そのものに運命を委ねたと思えば楽になる。たとえば、「今は辛いけれど頑張っていればいつか神様が報いてくれる」のような思想だ。空しいと思う人もいるだろうが、それは多くの選択肢を持つ現代人だからだと思うのだ。
逃げようもない大飢饉に出くわして、家族全員で生きて来年を迎えることは出来ないと確定した時、全員で死ぬことを選ぶか、家族の中の働けない子供を殺して何人かが生き残るのか、とりうる方法は二つしかない。前者を選んだ人の子孫は、今、この時代にはもう存在しない。後者を選んだ人の子孫が、我々を含む、今、ここに生きている人たちなのだ。