「匠の技」や「熟練」が人工知能に置き換えられる日が来る その時、職人の言う「心」は何所に行くのか

まぁもうすでにいろんなところで言われているとおりだが、AIや機械学習その他、新しい技術によって、かつては人間にしかできないと思われていたことの多くが、人間以外によって可能になる時代が来ようとしている。医療なら診療や手術、工場での保安検査、コンビニやファストフード店のバックヤード作業、農業などなど。もちろん今はまだ未熟なところも多い技術だが、「いずれ無くなる可能性の高い職業」のリストには、膨大な数の業種が数え上げられている。

そのリストを見ていて考えるのは、「結局、職人の言う"心"とは何なのか」ということである。


今でも一部、技巧を必要とする職人技的な品を指して、「真心を込めて作ってるからいい品が出来るのだ」のような宗教めいた言説がなされることがある。
しかし「心」や「魂」とは、存在を実証出来ないものであり、ぶっちゃけ「在ると思うから在るのだ」という、神仏や死後の世界と同じジャンルに属するものである。

しかし現在、技術の進歩により、熟練の職人の「技」が数値化され、パターン化されて、職人が作るものとほぼ同等の品が大量生産出来るようになってきている。そして、ほとんどの人が人間の作るものと、ロボットの作るものを区別できない。場合によっては機械の作った均一で安価な商品のほうが消費者に好まれる。たとえば「手すきの和紙」と「手すき風の和紙」なんかがその一つだ。

だとすると、今まで主張されてきた「ものづくりの心」だの「魂」だのいうものは、機械で置き換え可能なただの数値でしかないことになる。逆に言うなら、機械で再現できない部分など果たして本当にあるのか、どある。もし今はあるにせよ、それが未来永劫にわたって機械では再現不可能だなどと考える理由はどこにもない。今はまだブラックボックスなだけで、研究し解明すれば再現出来るかもしれないからだ。

ここで言いたいのは、ものを作るのに人間が必要ないという話ではなく、今まで心とか魂とかの語彙で表現されてきたものは、そもそも「心」や「魂」じゃなかった、という話である。

熟練の技巧なので「経験値」とか「慣れ」とかの語彙で表現されるべきものだったのだと。
だからこそ数値化できるし、機械で再現も可能なのだと。


時代が変わり、人間にしか出来ないこと、機械でも出来ることの境界線もまた変わりつつある。

そもそも実在すら証明できないくせに、多くの人が実在を信じようとするよくわからんモノが「心」だの「魂」だのいうものである。心理学は人間の行動を数値化し、統計処理しようとするが、どれだけ頑張っても現実にはあり得ない一定条件下でのある反応を定義づけることしか出来ていない。かつて心理学を専攻した自分、どんなに頑張って明確化・定義づけしようとしても「出来ない」のが結局は人間の心なるものである、と結論して今に至る。いつかは解明されるのかもしれないが、現状、人間の心理は変数が多すぎる上にちょいちょいバグが発生する、複雑怪奇でアテにならないプログラムなのである。

だから、既に再現出来ている職人の技に、「心」だの「魂」だのは含まれない。

21世紀、これからの時代、熟練した職人の仕事と同じことを「心」も「魂」もない機械が再現し、実はそれらは職人の技や熟練とは関係なかったことが証明されようとしている。では、職人たちが語ってきたそれらが次に行くべき場所は、どこなのだろう。本当に熟練した人間を必要としていた分野はどこなのか。




最後に残る「匠」の砦、私はそれが知りたい。