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zoom RSS 言い訳の美術史〜「神の姿は刻んではならない(キリッ」からのイコン崇拝への道

<<   作成日時 : 2018/08/04 00:10   >>

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「神の像はつくっちゃダメ。偶像崇拝は悪。」キリスト教の母体となるユダヤ教はこれを厳格に守っているのだが、何故か(?)キリスト教では、キリストの肖像が絵画にも像にも、多数見られる。これらを作るにあたり「どのような」言い訳がされてきたのか。また、キリストの生きた時代に描かれた・刻まれた肖像は一つもないにも関わらず、「どのようにして」姿を決めたのか。


現在では、キリスト像のイメージはだいたい確立されている。多少若かったり年寄りだったりはするにしても、イメージされる像はだいたい、長髪でケをたくわえた、ひょろりとした細身の男性では無いかと思う。しかし、その姿が歴史的なものであるはずはなく、いつかの時間、どこかの場所で「作られた」イメージのはずである。

それがどこで、いつなのか。
また、どうやってその姿を「真実である」と人々に思いこませたのか。

…という話を追いかけてみたところ、けっこう面白い歴史に辿り着いた。

 ・キリストの「像」が"発生"しはじめるのは6世紀後半
 ・最初の肖像は、肖像ではなく「奇蹟によって」キリストの顔が浮かび上がった、とされる布やら壁やら
 ・その肖像には、当時のかくあるべきと考えられる理想像が投影されている


6世紀後半ということは、キリストがローマ国教化してからしばらく経ち、カルケドンの公会議で「異端」とされた幾つかの派閥が離反したころだ。
しかも、像のもとになったものは、キリストが汗を拭った布に顔が浮かび出した、などという、「人の手にならない」神聖な方法で写し取られたものだというのだ。その、奇蹟によって顔が写されたとされるものの一つが「マンディリオン」(聖顔布)と呼ばれるものである。

ちなみにそれ以前はどうだったかとういうと、超初期の頃には、キリストの「姿」はあまり重要ではなく、キリストが直筆で書いた「手紙」などの方が重要視されていたらしい。その書簡の伝説が重要度を失い、視覚に訴える像のほうへと信仰が移って行く。


マンディリオンに話を戻すと、実物は既に失われたとされるが、多くの複製品が存在して現代に伝わっている。大元の本物とされる布が実在した確たる証拠もなく、普通に考えればいつかの時代に誰かが作り上げた話なのだろうが、もはや大元が存在したかどうかなどどうでもいいくらい、長い時間ひたすら複製品を作りつづけてきたという歴史が興味深い。

キリストの顔を覚えている人も、その姿をいくらかでも史実と信じられる方法で残しているものも何も存在しない。
わからないものはわからない。これは写真もなく肖像画も一般的でなかった時代の人物すべてに当て嵌まる。
しかも、キリスト教の教義的に、人は死ねばいつかはキリストにあいみまえるはずなので、「いつかは見られる」ことになっている。にも関わらず、人々は生きているうちにキリストの顔を見たいと強く願い、2,000年前に生きた人の姿など誰も知らないのに、真実と思った複製の顔をひたすら生み出してきた。

要求を満たすために重ねられてきた「言い訳」と「権威付け」の歴史が、キリスト教美術の美術史の裏側に隠された、もう一つの歴史である。
今やキリスト教は、世界屈指のビジュアルで訴える宗教の一つである。ヨーロッパの教会に行けばどこでも、フレスコ画やステンドグラス、像、額物に入った古ぼけた絵など、いくらでも「像」があらわにされている。それこそがキリスト教が広められた力の一つでもあると思うとき、結局キリスト教のもまた古代オリエント宗教の「視覚に訴える」という流れを継承しているんだよなぁ、と思わざるを得ない。



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この本は、前半部分はキリストの肖像がいかにして一般化されてきたかという歴史の話で面白い。
ただ後半は論点がとっちらかってしまった感があり、一般的な美術史との差異化もいまいちなのでちょっと微妙な感じがした。


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