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zoom RSS 先住民族の定義でモメる理由が悲しい…アメリカの事例

<<   作成日時 : 2018/07/25 00:10   >>

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オーストラリアやアメリカなどで「先住民」と言った場合、イメージするのに苦労する人はあまりいないと思う。また「先住民」と「あとからきた人」も判りやすくて、迷うことなんてないと思うだろう。後から来たヨーロッパの植民者と、元から住んでいた人々の間には、外見上も文化上も大きな違いがあり、区別はつくはずだと。
私がそうだった。
しかし、調べてみたら事情はけっこう複雑で、そう簡単に分けられない、ということが判ってきた…。

 理由は、 混血が進んでいるから だ。

そして、先住民優遇政策をとる場合、優遇されたいのでハーフとかクォーターの人とかでも「先住民でぇす」といって登録しにきてしまう。じゃあクォーターまでな、と区切ろうとしても、1/8が先住民の人と1/4が先住民の人が結婚して出来た子供どうなるのとか、家系がはっきりしてなくて「おじいさんは先住民だったと母に聞きました」みたいな人はどうすればいいのかとか、問題が次々出てきてしまう。そもそも先住民というのは血の問題なのか? という批判も出てくるだろう。

では「xxx族」の人が先住民な、と部族で分けようとすると、うちはxxx族じゃないけど昔からここに住んでいた! と主張する色んな部族が出てきてしまうし、地域で分けるのも、文化で分けるのも難しい。先住民と自認する人をすべて先住民と定義しようとしても、結果は同じである。

つまり「先住民」という定義じたいが、今となっては曖昧で、明確に線を引こうとするとひたすら面倒くさい問題が起きることになるのである…。

これもう、分ける必要なくねーか? と思った。人間は隣同士に暮らしていれば文化も言葉も交じり合う。それが自然であり、「先住民」と「移住者」を分けることは自然ななりゆきに反している。またかつては、その線引きこそが差別の根拠にもなってきた。「我々」と「彼ら」の間に線引きしても何もいいことはない。かつて差別のため、今は優遇のためと意図は違えど、存在しなくなりつつある線引きを明確にすることに、果たして将来的な展望はあるのかな? と疑問に思う。むしろ線引きできなくなること=みんな同等になること のほうに意味があるんじゃないのかな…。

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