フィレンツェに行きたかったが休みが取れないのでエア訪問することにしてみた

80年前のフィレンツェに。

アンヂェリコといふ名は彼がアンヂェロ(天使)を巧みに描いたために出来た名だといはれてゐるが、実際、かういう絵を見てゐると「天使画家」に相違ないといふ気がする。

<中略>

しかしこの絵を見ながらふと感じたことは、天使の翼の不自然さである。天使は飛ぶものだから翼がなくてはいけないのかも知れないが、人の背中へ翼のついてゐる形はあまり感心が出来ない。翼をつけることはすでにギリシアに始まって居り、キリスト教より古い伝統であつて、ヨーロッパ人の想像には根ぶかく食ひ込んでゐるのかも知れぬ。従つて描く方も見る方も当然のこととして何の躓きをも感じなかつたのであらう。しかし天使の姿と鳥の翼とはどうにも調和されやうのないものである。天人に翼をつけないインド人の想像のほうが、想像としては一層高いと思はれる。

フィレンツェ古寺巡礼/和辻哲郎


フラ・アンジェリコの有名な「受胎告知」の絵を見ての感想である。

「天使は飛ぶものだから翼がなくてはいけないのかも知れないが、人の背中へ翼のついてゐる形はあまり感心が出来ない。」

この感想は80年前の人だからできるものだろう。翼の生えた異形の人間がそこかしこに溢れ、見慣れてしまっている現代の我々には目からウロコなのではないだろうか。っていうか、そういやウチのばーちゃんも、天使と天女の区別ついてなかった。というか、昭和初期の文学作品の邦訳とか見てると、まだ「天使」とか「女神」って言葉がなくて、「天女」って言葉が充てられてる。北欧神話の本を開けば「フリッガ天女」とか(笑) 

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冷静に考えると人間の背中に羽根っちゅーのは確かにおかしい。自然界には無い存在だし、そもそも肩甲骨のあたりの接続とかどうなってるんだ、と冷静に考え出すとあり得ない。見慣れてしまっている我々がむしろどうにかしちゃったのか。
まあ、というか、この天使の羽根は天使に慣れてる我々が見ても若干の違和感はあるのだが…。(どっちかというとちょうちょっぽい?)


昔の人の旅行記は、現代人のそれとは違った視点から楽しみを与えてくれる。
読んでいると旅に出たくなる。そして気持ちだけは何処かへ旅に出る。



…年とって引退してから旅行いこうと思ってる人もいるかもしれないが、身体が動くうちに行ったほうが絶対いいと思う。んで、年取って身体が思うように動かなくなったら、窓辺で安楽椅子に座って昔の冒険とか思い出しながら小説書いて余生を過ごすんだ。ビルボ・バギンズみたいに。


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