古代エジプトの都市テーベが、ギリシャ語で「テーベ」と呼ばれるようになった理由

*テーベの位置、概要は参考にこれを
http://en.wikipedia.org/wiki/Thebes,_Egypt


テーベ/テーバイは、昔のギリシャに実在した都市の名前である。どうしてその名前がエジプトの都市(新王国時代には首都だった)につけられているのか、とギリシャ文学なんかを専攻している人からすれば不思議に映るらしい。

しかしエジプト学をやってる側からすると、逆に「いやエジプト語だと別の名前だったんだけどギリシャ人がそう呼び出したから…むしろ何でギリシャ人はそう名付けたん?」と不思議に思うところでもある。

エジプト的には「ウアセト」であり、現在はルクソールと呼ばれているあの町が、いかようにしてテーベの名を得たのか。今日はそんなお話。

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そもそも、ギリシャ人は、エジプトの都市にギリシャ語の通称名をつけたがった。
ライオンの神を祀っている町ならレオントポリス(ライオンの町)、太陽神を祀っている町ならヘリオポリス(ギリシャの太陽神ヘリオスの町)、という具合に。異国の町の名前が覚えにくかったというのもあるかもしれない。他の理由もあるかもしれない。とにかくはそこが発端だ。

そんな流れの中、ウアセトの町を「テーベ」と呼ぶことがすでに定着していたことが確実なのが紀元前5世紀ごろに書かれたヘロドトスの「歴史」。文中では一貫してウアセトをテーベと呼んでいるようなので、この時にはもうウアセト=テーベの図式が確立していたと思う。

さらにストラボンの「地理誌」にもウアセト=テーベは登場しているが、ストラボンは「この町は今ではディオスポリス(ゼウスの町)と呼ばれている」と記載している。古代エジプトの神アメンをゼウスと同一視した結果だろう。



というわけで、ギリシャ人がウアセトを「テーベ」と呼び始めた歴史は古いようなのだが、最初のきっかけが何だったかというと、どうも「イーリアス」の中に登場するテーベの記載が原因らしい。有名なホメロスの叙事詩「イーリアス」である。

ギリシャに存在したテーベの町は、オルコメノスという町と覇権を争っていた。イーリアスでは、なぜかそのオルコメノスの記述のすぐ後に「百の城戸を備えたエジプトのテーバイの富」という記載が登場する。本当は「ボイオーティアのテーベ」について書くべきだったのが、何がどうなったのか「エジプトのテーベ」と書かれてしまい、それが原因でエジプトにテーベという町があることになった… ということだ。
ギリシャ人がウアセト(テーベ)のことを百の門の町と呼んだことからしても、イーリアスの記述が発端である可能性は高い。ちなみに「百の門」は、町本体ではなく、町の隣にある、町の守護神であるアメン神の広大な神殿(カルナック神殿)を指したものというのが現在の見方だ。

まとめると、イーリアスにとつぜん登場した「エジプトのテーバイ」の真意はともあれ、書かれているからには在るだろう。ということになり、かつて首都として大いに栄えたことがあり、「大いなる富」と「百の門」を持っていたウアセトの町が、テーベであることに「された」という結論になる。



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テーベの町の形成初期の話とかが載ってる本。
図書館ででもどうぞ。

古代エジプトの歴史と社会
同成社
屋形 禎亮

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