ピラミッド建造方法は何処まで分かっているか

タイトルどおり、ピラミッドの建造方法はどこまで分かっているのか…逆に言うとどのへんが謎なのか…という話。


エジプトのピラミッドの建造方法って、何故か「謎」「現代では作ることは出来ない」みたいなイメージがやたらあると思うんだけど、実は分かってることも結構多くて、分からない部分は、かなり限定されている。

例えば、クフ王のピラミッドは地上からかなり高いところに玄室があって、その中に花崗岩の棺が置いてあるんだけど、その重たい棺をどうやってそこまで運びあげたのかについては様々な説がある。ただし、「大回廊」と呼ばれている部分の入り口にロープのこすれたような溝が残っていることから、傾斜を利用して、棺と釣り合うおもりをぶら下げて引っ張り上げたんじゃないかと仮説はたてられている。

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図にするとこんな感じで



石を積み上げるためには、基本的にピラミッドの周りに巨大な傾斜路を作っていた。
よく、”ピラミッドを作るために傾斜路を作ってしまうと、その傾斜路自体がピラミッド本体より巨大になってしまい、不可能だ”…というような説を聞くことがあるのが、だが実際に傾斜路を作っていた跡があるのだからしょーがない。不可能に見えようが無駄に思えようが、エジプト人はそうやってピラミッドを作ってきた。

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シンキ(セインキ)にある小規模なピラミッドに残された傾斜路の痕跡。
面積の広いピラミッドの土台部分の石積みは、このように四方向に傾斜路を伸ばして同時積みしていたらしい。ほかのピラミッドも基本的には同じ積み方をしていたようで、それを裏付けるように、労働者たちが東西南北を意味する四つのチーム名に分けられたという資料が見つかっている。


傾斜路の痕跡がはっきり残っているのはメイドゥムの崩れピラミッド。

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ピラミッドの周囲を埋め尽くす土盛は、もとは巨大な傾斜路だった。四方にまんべんなく残っていることから、ピラミッドをとりまくように造られたか、シンキのピラミッドと同じように四方向の傾斜路を持っていたのだと思う。
中には日干しレンガの残骸も混じっており、傾斜路を高く作るために日干しレンガの土台の上に土盛りをしていたことがわかる。

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ちなみに、このピラミッドは何段階かに分けた建設計画変更の果てに、最終的には放棄されてしまった。
上部の欠けている部分や表面の岩のいくばくかは、後世に別の建物を作るために剥ぎ取られてしまったようで、現在見られる姿は大昔に放棄されたときより小さくなってしまっている。

しかし、石が剥ぎ取られているからこそ、その内側の石積みがどのように造られたかが分かるわけで、表面がなだらかな真正ピラミッドも基本的にはこのメイドゥムのピラミッドと同じく何段階かの「階段状」の核の上になだらかな表面が化粧されていって出来たものだと思われる。


ちなみに、核となる階段状の部分の石の積み方、また材質そのものも、時代によって異なる。

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最初は、石をやや内側に傾斜させて積みあげていたのだが、これだとピラミッドが大きくなるにつれて内側にかかる重量が大きくなり、潰れやすくなる。そこで石を水平に積むようになったのだが、その場合は一つ一つの石が大きくないと上部からの圧力に耐えられない。

時代が進むにつれピラミッドは小型化していくが、それは芯の部分に石ではなく日干しレンガを使うようになったため、あまり巨大なものは作れなくなったためでもある。ピラミッドが簡易な日干しレンガで作られるようになった理由には、コスト削減や工期の短縮もあっただろうが、良質な石材がすぐ近くで取れるような立地条件のよい場所は、すでに前代までの王が建てたピラミッドで埋まっていたこと、太陽崇拝のシンボルとしてのピラミッドの重要性が下がり、太陽神殿のほうが重視されるようになったこと、なども挙げられる。

つまりは、ピラミッド建造技術が頂点に達したあたりでブームが過ぎ去ったわけだ。



ピラミッドがつくられなくなってからのエジプトの歴代王様たちは、どっちかというと巨大神殿の建造に執念を燃やした。
ルクソールの巨大なオベリスク、アブ・シンベルの岩壁まるごとくりぬいたような巨像などに費やされた労力や技術は、ピラミッドに決して引けは取らない。あのデカいオベリスク水運で運べるんだから、まぁ当時のエジプト人はけっこうな技術を持っていたのではなかろうか。



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と、いうわけで、ピラミッドの基本的な作り方はだいたい分かっている。

残されている不思議といえば、それを数十年で作れたのか、ということ、それには何万人くらい人手が必要だったのか(可能な数字か?) とか。クフ王の棺のような部分的に建築方法が謎な部分は残されているし、足場が小さくなる中でピラミッドてっぺんのキャップストーンと呼ばれる石はどうやって置いたんだ? とか、個々の謎は色々残っているが、建造方法が皆目検討つかん!! とか、そーいう状態ではない。

近年発表された「新説」、ジャン・ピエール・ウーダンの「内部通路」説にしても、大ピラミッドの半分くらいまでは従来通りの傾斜路を使った建築方法だったと述べている。ギザの大ピラミッドの建造方法が謎だと言われるのは、その巨大さゆえに、高い部分までどうやって石を引っ張り上げたのかで説が分かれるからだ。

地上100m以上のもの高さに石を積み上げようとすれば、傾斜路の角度が急になるか、やたらと長くする必要がある。または傾斜路をつづら折りの状態で何段にも作る必要がある。この部分は学者によって説が別れるわけだが、より効率的な積み方をするために傾斜路をどう作れば良かったかというだけで、まぁとりあえず傾斜路使えば積み上げることは不可能ではない。メイドゥムのように大量の土を使って傾斜路を積み上げた痕跡も残っていることだし、悩むまでもなくエジプト人は単純な人海戦術でピラミッド建築の難関をクリアした可能性だってある。

ウーダン説も面白いのは面白いのだが、ほかの崩れているピラミッドなどを見ていると、どうもエジプト人は四方向の傾斜路を使って四隅から対角線上に石を積み始めてスキマに瓦礫を埋める工法をとっていたようで、内部通路なんかとは無関係にピラミッド内部にスキマが出来てしまうんだよなぁ… っていうのがあり、正解とは言えなさそうだ。



かーなりザックリした語りで、個々のピラミッドごとの違いなどは考慮していないが、だいたいこんな感じ。
ちなみにギザの三つのピラミッドのうち、最も完成されているのは、最後に造られた一番小さいサフラー王のものである。ほかの二基は、びみょーに稜線がズレていたり、石のサイズを適当に測ったらしく上のほうの石を急遽削ったりした跡が残されている。意外にその場しのぎでやっていたのが古代のエジプト人。

また、実は水平に立っておらず、北の南で土台に4度ほどの傾きがあったりするのだが、東日本大震災で家が傾いた人は、4度って意外とデカい傾きだというのが分かるはずだ。あのでかいピラミッドを建てていたときですら、エジプト人の建築技術はまだ未完成で過渡期にあったのだと言えそうだ。


図説 ピラミッド大百科
東洋書林
マーク レーナー


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