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zoom RSS アクエンアテンは革命者か狂信者か?

<<   作成日時 : 2009/05/02 19:07   >>

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「探検家ジョシュ」シリーズのアクエンアテン鑑賞。タイトルは「エジプトのファラオ」だけど、内容的にはアクエンアテンの宗教改革のみに焦点をあてた番組でした。

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見始めた時はナレーターのジョシュなる人物がなんとなくウザくてイケメンリポーターとかいらねぇよとか思ってたんですが、番組の内容が面白かったので最終的にはあんま気にならなくなってました。でも別にこの人がリポーターやる必要はなかったと思うんだが、ディスカバリーチャンネル…。探検家なんで、遺跡や遺物の説明より砂嵐に大はしゃぎしてましたよ、彼。^^;


ま。それはさておき。


エジプトフリークならずとも知っているであろう有名ファラオ、アクエンアテンについて。



***

彼はツタンカーメンの父とも異母兄弟とも従兄弟とも言われる(現在は父という説が有力らしい)人物で、ツタンカーメンより二代前の王に当たる。ツタンカーメンの兄と思われるネフェルカーラーがごく短期間の在位ののちに死んでしまったため、ツタンカーメンが跡を継いだ。

この人物は世界で最初に一神教を唱えた王としても知られる。
多神教であったエジプト古代王国に宗教革命を起こし、それまでの信仰を都ごと捨て、荒野のド真ん中にアケト・アテンという新しい都を創って住んだ。

しかし急激な改革が一代で根付くはずもなく、王が死ぬと都は打ち捨てられ、信仰も元に戻された。アクエンアテンの治世は暗黒時代として忘れ去られ、のちに作られた、王名表と呼ばれる王の代替わり一覧からは、アクエンアテンの名前は消されている。

その後を継いだツタンカーメンは、激動の時代を生きたことになる。

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このファラオについての評価は、大きく以下の二通りに分かれる。


■王権復活の革命者

アクエンアテンが在位したのは、新王国時代、第十八王朝。古代エジプト王国はきらびやかな繁栄のもとにあった。
と同時に、社会構造が複雑化し、官僚制度のようものも出来ていた。その中で当時の最高神であったアメン神の神官団の勢力が拡大し、王の権力をもしのぐほどになりつつあったのではないかと推測されている。

アクエンアテンの革命は、一神教への転向と見せかけて、アメン神官団の力を殺ぐためではなかったのか。
一神教とはいえ、アクエンアテンの掲げた新しい神は、神と王が一体化してともに崇められる形式である。それまでの最高神を打ち捨てた乱暴なやり方は、民はただ追うのみを崇めよ、という意味だったのかもしれない。


■悪政を強いた狂信者

アクエンアテンは戦争を拒み、平和的な神の愛を説く伝道者と言われるが、同時に現実を見ない為政者でもあった。国境の警備をおろそかにし、同盟国との関係強化を怠り、結果として国や民を危険に晒している。同盟国からの援助の申し出を断ったという記録も残されている。また、エル=アマルナへの強制的な遷都は、王に従った民に負担を強いるものだった。

結果的に、王が自らの築いた都に閉じこもって楽しく神を崇めている間に、もとの首都では神官が、地方では豪族が、国境の向こうでは他国が好き勝手をやり始め、18王朝の衰退へと繋がっている。





私はどっちかというと「狂信者」、この王様は国のトップにしちゃマズいだろ的な物凄いドリーマーだったという考えを持っている。アクエンアテンが崇拝した神は アテン神 という例のあのタコなのだが、アテン神の教義を読むと、どーもこの人現実に足がついていたとは思えない(笑) なんか… ドリームワールドにいっちゃってるニオイがする。

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この番組の流れも「狂信者」寄り。
アクエンアテンの治世時代に起こった新しい芸術形態などの功績についてはほとんど触れず。

しかし歴史は、解釈次第でいかようにも見えるものである。評価が時代ごとに変わることもある。アクエンアテンが果たして何を考えて改革を断行したのかは、本人以外の誰にもわからない。本人だって判っていなかったかもしれない。それに、いくら王とはいえ、思いついただけで改革が遂行されるはずはない。彼の考えに賛同し、従った家臣や民もいたはずなのだ。

確実に言えることは、アクエンアテン王の行いは、アメン神など他の神々の神官たちからも、家臣の一部からさえも良くは思われていなかったということ。
王の死後間もなくして、アクエンアテンの築いた神殿は破壊され、町は放棄された。


番組の中でへーっと思ったのが、壊されたアテン神の神殿が、アメン神がまつられているカルナック神殿の入り口の塔門に再利用されているって話。アクエンアテンは建物を素早く大量生産させるためタラタートと呼ばれる小さな石材ブロックを沢山作らせたんだが、それが塔門の中に埋め込まれているらしい。

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なるほどねえ。
それでこの塔門は完全に復元されずに、半分だけ元に戻して中身をさらけだした状態になっているのか。


それと、アクエンアテンに付き従い、アケトアテンの都に住んだ人々の栄養状態。
ミイラにされていない下級民の骨からは、短期間に都や神殿を建造させられたことによる過酷な労働の跡や栄養状態の悪さが見て取れるという。

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神殿の豪華さ、整然と並ぶ供物台との対比。
王権を取り戻したいという政治的な理由があったにせよ、自らの信仰に生きたいという宗教的な思惑にせよ、アクエンアテンの治世が民のほうを向いていなかったことに変わりはないんだよなあ…。
アクエンアテンの墓は見つかっていないけど、民の恨みを買っていたならヘロデ王の墓のように打ち壊されちゃった可能性だってあるかもしれない。

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思っていたほど退屈な番組ではなかったけど、最後に一つだけダメ出し。

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ルクソール神殿の柱の「アメン」という神名が削られていることを、アクエンアテンが過去の神々を放棄した証拠として出していたんだけど、これ、削ってるのはすべて王名に含まれる「アメン」の部分じゃないのか。

アクエンアテン自身、「アクエンアメン」から「アクエンアテン」(アメン→アテン)に改名しているし、王名の中の神名の部分は、単なる名前変更であって”神を消した”証拠にはならんと思う。ルクソール神殿の壁に描かれた神々の像は消されていなかったし、神の像が廃棄された証拠のないはずだ。(それをやったら改革する前に反乱が起きてただろうし)

アクエンアテンが他の神の信仰を禁じた証拠としては、アクエンアテンの側近の墓にアテン以外の神が出てこないことあたりを示したほうが妥当だったのでは。
ここはもうちょっとフォローが欲しかった。

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