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zoom RSS オセアニアへの各種キリスト教の布教と変遷、「海のキリスト教」

<<   作成日時 : 2018/06/23 00:10   >>

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「各種キリスト教」と言ったのは、キリスト教といっても色々あるからであり、実際にこの本の中に登場するのが英国国教会だったりローマ・カトリックだったりメソジストだったりモルモン教だったり、実に様々だからである。実に様々な宗派が太平洋の島々に出かけていき、布教し、支配した。そして太平洋戦争後に独立した島で、それぞれに変容していった。「キリスト教」というと世界中に信者がいる宗教と一般には認識されていようが、かつての発祥の地から遠く離れた地では、もはやほぼ別物である。この本の中にも

 "「イエス・キリストへの信仰」という重要な共通性を除けば、ほとんど何も共通点がないほどである。"

と書かれているとおりだ。


海のキリスト教――太平洋島嶼諸国における宗教と政治・社会変容
明石書店
2016-07-15
大谷 裕文

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その、ほぼ別物となってしまったキリスト教が、太平洋の島々に入ってきたのは、せいぜい19-20世紀のこと。そしておよそ100年ほどの間に、伝わったキリスト教は元々の地元の宗教と交じり合い、ローカライズされて別モノになっていったようなのだ。


取り上げられているのはトンガ、パプアニューギニア、ニュージーランド(マオリ族)、ソロモン諸島である。
パプアニューギニアやニュージーランドは大きな島だが、ソロモン諸島はニューギニア沖の島の連なりで、トンガはさらに沖合いの、170もの島からなる国である。それらの島々の事情は、もちろん全く同じでは無い。

まずトンガの場合は、ハワイなどと同じく元々が首長と貴族がトップに立つ階級社会で、最初に宣教師を受け入れたのがえらい人たちである。宣教とともにもたらされた西洋文化の物質や知識が、地元権力者の権力強化ためにも利用された、というパターンだ。やがて王権や貴族に対する不満が高まり、民主化運動が始まっても、各種キリスト教団体の立場は微妙で、民衆の味方もしつつはっきりと政権にたてつくことはしないという路線になっている。

パプアニューギニアでは、キリスト教の宣教とともにヨーロッパ列強による支配が強まった。物質や文化が流入し、社会は大きく変容した。しかし教義の内容はパプアニューギニアの人々には全く理解出来ない。あまりにも文化が違いすぎるからである。キリスト教強化の流れは、宣教師によってではなく地元の人々が体験した「聖霊による奇蹟」から発生していく。それは味気ない言い方であえば、社会の大きな変化が生んだ大きなストレスが生んだ集団ヒステリーに見えるが、神の奇蹟なのだと解釈すれは宗教体験になる。こうして、人々は宣教師によってではなく、自分たちの解釈によってローカライズされたキリスト教を受け入れていくことになった。そのキリスト教が、東地中海で布教が始まって間もない頃の原始キリスト教に近い内容となっているのは面白い。

ニュージーランドのマオリ族はまた面白い受容の仕方をしていて、旧約聖書の詩的な神話がなじみやすいという。土地をヨーロッパ人に奪われ、追われている自分たちを、かつてのユダヤ人の苦難と重ね合わせてもいるという。マオリ族におけるキリスト教は、自分たちの伝統的な神々とキリスト教とを合体させた独自の内容が強い。ラタナ教やディステニィ・チャーチというキリスト教の影響を受けた新興宗教の勢力がそこそこの規模を持っているのも面白い。ただし、多くの新興宗教は勢いを失いつつあり、最近では無宗教者が増えているという。

ソロモン諸島では、CFCと呼ばれる土着の独立系キリスト教教会があるという。聖霊の憑依する儀式などもあるというから元々の土着宗教がかなりの割合で混じっている。キリスト教を元に独自の宗教に変容したといっていいかもしれない。それなりの勢力を誇り、安定して信者を獲得できているという。このケースでは信者が集まって作った村で経済活動も行っている。いわば会社経営も行う宗教団体のようなものだ。単なる神秘体験や終末思想ではなく現実の生活を向上させる目的を持っていることが特徴だ。


ざっとまとめてみたが、このように場所によってキリスト教の受容の状態は異なる。しかしいずれも、アングリカンやローマンカトリック、モルモンなどの既存のキリスト教宗派よりは、地元で発展した独自のキリスト教教会のほうが将来的に生き残れる可能性が高そうに見え、既存のキリスト教宗派であっても多少はローカライズされているようである。


ひとつ面白いなと思ったのは、「太平洋の人々は神話のお約束に馴染みがないから容易には理解できない」という話である。
死して甦る豊饒神とか、聖母と聖なる子とか、確かにそれはオセアニアの神話の原型の中には無い…。
そもそも原始キリスト教が初期の近東での布教に苦労しなかったのは、キリスト教の元ネタが東地中海世界に広く流布していた数々の伝統的な神話物語だったからで、土壌は既にあったからだ。適した土壌のないところにいきなり外来の花は咲かせられない。土壌となる文化世界が異なる太平洋の島々に咲いたキリスト教の花は、どれも南国の色をして、ヨーロッパのものとは全く違う姿かたちをしている。

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