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zoom RSS 考古学者が見たトロイア戦争の夢と現実 〜捏造疑惑、調べてみたら闇が深かった

<<   作成日時 : 2018/03/16 00:10   >>

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前回の続き。

先史時代のアナトリアに関する権威だった故ジェームズ・メラート(James Mellaart)氏による遺物捏造疑惑について、ちょろっと調べてみただけでも闇が深くてドン引きするやつだったので、深入りしない程度にメモしておきたい。

まずキーワードとなるのが「トロイ(トロイア)」である。

メラート氏がトロイア戦争にハマっており、生涯かけて証明しようとしたのがトロイア戦争の歴史的な実在とイーリアス神話の証明であることを念頭に置いてもらいたい。いま分かっている/嫌疑のかけられている捏造の多くは、トロイ絡みのものだからだ。


●そもそも彼がトルコの遺跡からシャットアウトされた理由とは

表向きの理由は「遺物を密売したかもしれない」という疑惑をかけられたからだが、調べてみると実際はもっと複雑な話である。彼は1965年、電車の中で知り合ったという女性に見せられたという遺物コレクションのスケッチを発表する。その遺物は、ドラク村で見つかったものだという触れ込みだった。しかし、その女性に写真をとることを拒否されたという理由で実物の画像はなくスケッチのみ、メモしておいた名前も住所も架空のもので何一つ裏づけはとることが出来なかった。

そのためトルコ当局は、遺物はメラート氏がこっそり買い取って国外に持ち出したのではないか、あるいは売り飛ばしたまではないかという疑惑を抱き、彼をトルコから締め出してしまった。

これがいわゆる「ドラク村の遺品」事件である。

Dorak affair
https://en.wikipedia.org/wiki/Dorak_affair

画像


・・・が、このとき発表された一級品の遺物というのが既に、メラート自身の「捏造」であった可能性がある。
なにしろ、遺物の実在は彼以外の誰も証明することが出来ず、写真の一枚もなく、彼自身の書いたスケッチしか存在しないのだ。

そしてメラート氏は、遺物の発見されたというドラク村に対して「かつてトロイアの時代はエジプトのアレキサンドリアに匹敵する一大都市だったに違いない」という評価をしている。

チャタル・ホユック遺跡の発見が1958年。
この疑惑による追放が1965年。
以降50年もの間、トルコの発掘現場から締め出された彼は、ひたすら空想を積み上げていくことになる。


●そんな空想学者がなぜ学者として評価され、大学で教鞭をとれたのか

よく勉強してて、知識量はめっちゃくちゃあったから。
そして見つけた遺跡自体は本物だった。

ただし、遺物の解釈において空想を盛り込みすぎ、かつ、今判明している内容からするに、自説に沿うように色々こっそり改変していた可能性がある。高名な考古学者ではあったものの、学究に対する誠実さにおいては未熟だったというべきだろうか。


●トロイ王子の碑文

死後に発表してほしいと遺言され、実際に発表されたけどあまりにも内容が出来すぎてるのと不自然な箇所があつたのとで捏造が疑われ、今回の調査へと繋がる一つの伏線となったのがこれ。3,200年前のルウィ語碑文に書かれた、トロイ戦争を裏づける記述がある。

ただし、Beyköyという村にあったという碑文自体は19世紀に地元民がモスクをたてる石として使つてしまったとされ、現存していない。碑文は、とある考古学者が失われる前に書き写したものから起稿したことになっている。そして、メラート氏が解読に参加したと主張していたメンバーは全員、メラート氏よりも先に亡くなっている。
つまりこれも、メラート氏のスケッチと主張の中でしか実在の確認できない遺物である。

3,200-Year-Old Stone Inscription Tells of Trojan Prince, Sea People
https://www.livescience.com/60629-ancient-inscription-trojan-prince-sea-people.html

画像


…で、これを代理で発表したEberhard Zangger氏が、今回の捏造疑惑の怒りの告発者なんである。
「捏造したもの発表させて私のキャリアを傷つけるつもりやったんか?!」と激オコなのも当然だろう。

ちなみにZangger氏の本の一冊は、邦訳が存在する。
「甦るトロイア戦争」である。つまり、この人もトロイ絡み。

甦るトロイア戦争
大修館書店
エーベルハルト ツァンガー

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●そして疑惑の調査から懸念が裏付けられてしまう

メラート氏の息子とZangger氏は遺品の整理を行う過程で、疑惑の碑文のドラフト版を見つけてしまう。また、ルウィ語は読めないということになっていたのに、ルウィ語を研究して文章を作れるようになっていたという多くの証拠が出てきてしまった。Beyköyの碑文を捏造することは十分に可能だったし、その可能性も高まったというわけだ。

さらに、写真に残す前に失われたとされ、メラート氏のスケッチしか残っていないチャタル・ホユック遺跡の壁画の下書きも見つかったのだという。…ということは、この壁画に関する報告はそもそもウソだった可能性があるのだ。





ここまでの流れから考えられることは、「メラート氏しか実在を証明出来ない or 発見時に他の人がいなかった遺物は偽造されている可能性がある」ということ。
そして、その捏造行為は、約50年前のトルコから締め出されることになった事件まで遡る可能性があるという。つまり50年分の仕事の再検証が必要なのだ。

 これは死ねる

いやさ、マジでこれめっちゃダメなやつじゃないですか…。

もちろん見つけた遺跡は本物だし、多くの「実在する」遺物もあるわけですけどもさ、報告書のすべてを信用することはもはや出来ないわけでしょ。報告書と実物の突合せを全部やるんですかい? と。これから詳細を検証するにしても相当な労力が必要だと思うんだ。一体どこまでがウソなのか。頭抱えるしかない。


ほんとこのジャンルの人は つよく いきてください


******

なお、前の記事でも描いたとおり、チャタル・ホユックの壁画の全てが捏造というわけではないし、実物として見つかってる女神像などの真贋までは疑わなくていいです。ただ、見つかった地層が変更されてるとか、発見時の状況が改ざんされてるといった可能性は残されるので、そのへん検証が必要ですかね…。(´・ω・`)

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