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zoom RSS 「エジプト王は神だけどメソポタミアは王が神にならない」って言うけど実はメソに神王けっこういるよね

<<   作成日時 : 2017/03/19 00:10   >>

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メソポタミアの王たちの神格化は、シュメール都市国家からイシン王朝のあたりまで見られる。「俺は神」って言ってた人けっこういる。ていうか実在人物としてのギルガメシュも神格化されてるし。

…そしてその伝統ってナラム・シンが調子ぶっこいて手ひどく神罰くらった(とされる)あと、途絶えてるんだよね…。
というお話。

結論から言うと、

 エジプトもメソポタミアも、文明レベルが一定まで上がると王が神になれなくなる点ではいっしょ。
  エジプトは古王国時代末(前2100年ごろ)まで。
  メソポタミアはイシン第一王朝(前1800年ごろ)まで。



エジプトとメソポタミアで王の権威の違いを比較されることが多いのだが、実はエジプトで「俺is神」とかやってたのは古王国時代あたりまでで、第一中間期を挟んで中王国時代になると、「王は神の息子(ホルス神の化身)」という立場になっていく。いちおう神扱いはされているし神々と語れはするのだが、同列にはなれていない。

辛うじて神と同列になれるのが死後なのだが、新王国時代の信仰では、死んでも自分自身が神になるというよりは、オシリス神という冥界の神と一体化することによって神となる方法をとっている。○○王が死ぬと「オシリス・○○」という戒名のようなものがつけられるのがそれ。ちなみに冥界神オシリス神は神々の王であるホルス神の父親なので、生きてるうちは息子の神と同一視され、死ぬと父親の冥界神と一体化する、というサイクルになる。そして次に即位する王がまた息子の神と同一視されるわけだ。

メソポタミアも同様で、「俺is神」が出来たのはイシン第一王朝のあたりまでだ。つまりシュメールの時代まで。古バビロニアの王たちは、神々と直接語り合える特権者ではあるものの、自身が王とはなっていないようだ。ちなみに、王が神と同格であった時代には、王と、王権を与える女神との「聖なる婚姻」という儀式が行われていた。王権を与える女神といえば性愛の女神でもあるイナンナである。人間の王が女神と交わる、という発想はエジプトには無いので、おそらくシュメールの王たちは、エジプトの王以上に神に近い存在として扱われていたと思う。

と、多少の違いはあるものの、こうした「人間である王が超越者たる神と同一視される」という傾向は、確かにある時代を境目に途切れている。

エジプトでは、おそらく天候不順(ナイルの水位低下)による飢饉によってだろうか、王権が危うくなる第一中間期という時代を挟んで、王権に対する在り方ががらりと変わっている。

メソポタミアの場合はバビロン勃興によりアッカドとシュメールがバビロニアに統合される時代に突入したあたりがターニングポイントになっている。

双方とも時代の転換期がそのまま、王の在り方の転換期となっているように見うけられる。だとすると、王の権威がいったん地に落ちることによって、権威とは人が作るものなのだと認識されたということだろうか。



まあとりあえずあれだな、某きんぴかと某お自慢の会話が噛みあう様で噛み合わないのも致し方なしという結論に達(ry

…あれ、何の話してましたっけ


*****

メソの王権の話は、このあたり本オヌヌメ
どちらも独特の語り口を持っていてズバっと書く系の著者なので読んでてたのしい。

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