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zoom RSS 「紀元前1200年のカタストロフ」なるものが分からないんだが。(少なくともエジプトは関係ないよねコレ

<<   作成日時 : 2017/03/01 00:10   >>

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なんかネット上でちょろっと見かけて、全然記憶になくて「??」ってなったやつ。
ググるとウィキペディアが出てくるので、あーまたウィキさん信じちゃった人がいた? みたいな気分になっている。

前1200年のカタストロフ
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%89%8D1200%E5%B9%B4%E3%81%AE%E3%82%AB%E3%82%BF%E3%82%B9%E3%83%88%E3%83%AD%E3%83%95#.E3.83.92.E3.83.83.E3.82.BF.E3.82.A4.E3.83.88.E3.81.AE.E5.B4.A9.E5.A3.8A

いろいろ参考文献を書いたり引用したりしてそれっぽいページは作っているのだが、残念ながらコレ、正しくない。
というのは自分で紀元前1200年あたりの年表を確認すれば一目瞭然だと思うんだ。そこで途切れてるものが何なのか確認してみてほしいんだ。

まず、政体としてのミケーネとヒッタイトがそのあたりで滅亡してるっていうのは正しい。が、以下の年表で確認できるとおり、「暗黒時代」に突入するのは東地中海の北側とトルコ・アナトリアあたりだけで、東地中海の南側、メソポタミアやエジプトは関係ない。伝統が途切れる、といった事実もない。むしろエジプトは全盛期である。



画像





*この年表は、以下の記事を書くときに作った。

ギリシャ語文献にヒッタイトが出てこない理由をもう一度考えてみた
http://55096962.at.webry.info/201510/article_13.html


紀元前1200年のエジプトは新王国時代。
19王朝から20王朝にかけて少しずつ国力は衰退しているが、王朝の切り替わりの理由は後継者がいないとかなので、別に理由が謎ってわけではないし、文字記録も連続して残されているし、神殿とかばんばん建ててるので巨石建造物の技術がなくなったわけではない。また、豪華な副葬品も立派なお墓も作られ続けている。暗黒時代とは無縁。

総称として"海の民"と呼ばれる諸民族の侵入は受けていたが、国政を揺るがすほどの出来事にはなっていない。一部は傭兵として雇っているから、おそらくその後の「エジプト人」の一部になっている。


紀元前1200年のメソポタミアは北部が中期アッシリア、南部がカッシート王朝の時代。1200年頃は飢饉による停滞もあり、アッシリアはアラム人の侵入で痛い目を見ている。またカッシート王朝も紀元前1155年ごろに東からエラム人の侵入を受けて終焉している。しかしそれまでは繫栄していたし、戦争に負けたからといって伝統が途切れたわけでもない。このあとメソポタミアでは、復活のアッシリア vs 逆襲のバビロニア という新時代の楽しい相克が待っている。

ちなみにアナトリアはいったん暗黒時代に入ってしまうが、シリアあたりにネオ・ヒッタイトという国が出来ているので、別にヒッタイトの伝統がいきなりバッサリ滅びたわけでもない。

と、いうわけなので、「紀元前1200年のカタストロフ」なるものは、ある地域の、一点の時代の一部の事実だけを見て言ってるだけじゃないかと思う。東地中海沿岸を全体から俯瞰すると、特にそこで途切れているようには見えないからだ。



なお、ミケーネ文化が廃れた理由としては、かつてはサントリーニ島の大噴火が理由ではないかとされていた。これは、火山爆発指数が6または7という凄まじい爆発で、島の大半が吹っ飛んだほどの爆発である。

しかしこの爆発、現在では紀元前1,600年頃に起きたと考えられていて、海の民と総称されることになる難民(?)の発生から200年くらい前になる。多少の時間差があるため、直接原因だったかどうかは分からない。ただ、何十年も続く噴火と気候の悪化によってじわじわと衰退いき、ある段階から雪崩のように移住・脱出が始まったというのは有り得るかもしれない。

確実なのは、この噴火が間違いなく起きたということと、季節風の影響で島の北側地域に降灰があったということ。
カタストロフを引き起こすような劇的な何かがあったとすれば、おそらく、この噴火+気候変動による飢饉ではないかと思う。

歴史的な事件というものは、トリガーが引かれてからすぐに発生することは少ない。
たとえば、リーマンショックを考えてみよう。現代のグローバル経済の時代ですら、リーマン破綻というトリガーが引かれてから顕著な影響が出たのは一年後くらいである。古代世界なら、都市拠点の崩壊による物流網の断絶から王国の衰退まで百年のタイムラグがあったとしても、大して不思議ではない。

これを天候不順による飢餓に置き換えてみる。
古代世界のある地域で極端な飢饉が発生したとして、その影響が近隣地域に波及するにはどのくらいかかるだろうか。食物を求めて大量の難民が武装して襲ってくるのは、飢饉の発生からどのくらい後なのか? 撃退できないくらいの規模の移民が押し寄せてくるのは? 難民の増加による治安の悪化、あるいは食糧難によって政治が不安定になるのは?

ミケーネやヒッタイトの崩壊を招いた直接の出来事は、こんな、現代にも目の当たりにしている現象が拡大した結果だったのかもしれないわけだ。





なおヒッタイトの崩壊によって製鉄技術が東地中海世界に広まったという説は、俗説というか、古い説というか、実際の発掘結果とは異なる。エジプトやメソポタミアではヒッタイト滅亡後も青銅が主体。鉄器の武器が青銅より強い、という事実もない。鉄器が世界に広まった理由は、鉄の鉱床は世界中にあるが、錫の鉱床はあまりなくて、銅+錫の組み合わせを手に入れられる地域がごくごく限られていたからとみるのが妥当と思われる。鉄の武器だからといって青銅にサクサク勝てるわけではない。だから鉄器を持っていたはずのヒッタイトは大軍率いてぶつかってにも関わらずエジプトと引き分けたし、かなりアッサリ滅亡してしまうのだ。

*以下にメモしたとおり

ヒッタイト帝国滅亡と「鉄の解放」、その後の鉄の伝播速度についての覚え書き
http://55096962.at.webry.info/201410/article_16.html

ネオ・ヒッタイトのあたりで鉄器が早くから出るのは、まあ移住者がいたんだろうから当然かなって話だが、面白いことに元々青銅器を量産できていたエジプトやアッシリアでは鉄器技術を取り入れるのが遅い。むしろインドのほうが早い。初期の鉄のポジションはそんなもんなので、ヒッタイト崩壊とともに鉄の技術が世界に拡散したという説は事実に合わない。

紀元前1200年に限らなくても、シリア・パレスチナあたりの近東は昔からひたすら国が興っては消える地域なので、これも特に、その時代にだけ何か特別な理由を求める必要性は薄い気がする。




――では紀元前1200年とは、特別な意味のない年代だったのか?

どんな時代にも、意味を見出すことは可能である。
私なら、この時代は 戦争のあり方の転換期 と名づけると思う。

ヒッタイトのムワタリととエジプトのラメセス2世の戦いにみられるように、紀元前1200年頃の戦闘は、騎馬、戦車(チャリオット)が大々的に戦場に投入され、大国同士が大軍を率いてぶつかりあうようになる時代である。戦略が大きく変化したのはもちろんのこと、馬や馬車を扱うために専業軍人が大量に必要とされるようになった。
(ちなみにそれ以前の戦争だと歩兵が人海戦術で戦うのが主体で、戦車はなく、ロバが荷車を引いてのこのこ戦場に出てくるようなスピードの遅い戦闘が普通。)

これは、単純な人口ではなく専業軍人をより多く抱えられる国が戦争に強くなったということを意味する。
軍人が少ない場合は、よそから戦える人間を雇い入れる必要がある。つまり、それまでになかった「傭兵」の重要性が高まったことも意味している。また、一度の戦闘に費やされる国力も、大幅に跳ね上がったと思う。

そんな時代に結ばれたのが"世界最古の平和条約"、ヒッタイトとエジプトの間の協定だということは実に意味深だ。新時代の戦法でがっつり戦ったあと、双方とも「これ本気でやったら勝っても負けてもヤバい」と気づいていたからこそ結ばれたものかもしれない。

いや、わからんけど。単にラメセス2世がヒッタイトの王女を嫁に欲しかっただけかもしれんけど(笑)



****

南メソポタミア〜インダスあたりでのカタストロフなら、紀元前1,800年だと思うんですよ。

インダス文明とディルムンが衰退、メソポタミアとの交易ルートもおそらくいったん途切れている。気候変動が原因かもしれないと言われているがよく分かっていない。なおその頃のエジプトは中王国時代の中ばで、巨大ピラミッドの建築をやめる頃でございます。そのあと第二中間期で戦国時代に突入します…

火山の噴火とかのデカいイベントが付近で起きてないぶん、たぶんそっちのほうが謎だから!

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