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zoom RSS マヤ文化の「都市放棄」、一般庶民がその時どうしてたのかがよくわからん という話

<<   作成日時 : 2016/10/23 00:10   >>

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久し振りにマヤの本を読み返していた。

一昔前には(そう、今はもう時代遅れだ!)、マヤ・インカ・アステカとひとくくりにして「失われた古代文明」扱いされていたマヤだが、最近では、「マヤ文化はなくなってない、今も変化しながら生きている」「もちろんマヤ人の子孫もフツーに暮らしてる」「マヤ諸語も現役だしマヤ暦も使われてる、昔のままじゃないだけ」といった基本情報は、かなり広く知られるようになっている。ただしスペイン人がヒャッハーしにやってきた時代に人口の大半が失われ、過去の情報、ことに王や貴族など限られた階級だけが所持していた知識・伝統が、かなりの確率で失われたことは確かだ。

ただ、スペイン人がぜんぶ悪いというわけでもない。
一般庶民だって、自分たちがあまり重要だと思っていないようなことは、世代が変われば忘れてしまう。たとえば、うちのご先祖はどうやら倭寇か山賊か何かヤバめの商売をやってたらしいのだが、その来歴を示すものは何ひとつ残されていない。唯一何かを知ってたらしい親戚ははるか昔に亡くなって、聞いた話で覚えているのは「薬売りに化ければ関所を通れた」という意味不明なエピソードのみである。

話がそれたが、要するに、ご先祖が何やってたか、よっぽどのことがない限り子孫だって知らないのである。私が知りたいのは、マヤ史の中によく出てくる「ある都市の衰退と放棄」の時、都市に暮らしていた一般人、つまり農民たちは、どうしていたのかということだ。

マヤ文化の世界は、都市国家が多いときには数十以上も乱立する群雄割拠の世界だったという。隆盛を誇った都市もいつかは衰退する。要因は様々で、戦争に負けた、王家が断絶した、地域に旱魃が起きた、あるいは単純に人が増えすぎて手狭になったから遷都するというケースも在り得る。都市が崩壊するとき、都市民は一体どこへ行くのか。

たとえばマヤと似たような都市国家群だった古代のメソポタミアでは、都市間の人民の移動は存在したと思われる。
が、それは文化や言語がだいたい同じだからやってけるのであって、マヤは「マヤ諸語」といわれるくらい何十通りもの「方言」があって、どうも言語が均一化されている形跡がない。

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この言語系統の分かれ方は、イヌイット諸語やケルト諸語と同じだ。つまり、集団の棲んでいたロケーションが一定の距離を長期間保っていた場合に発生する差異だ。マヤの都市国家は、それぞれ一定の距離を保って存在していたという。言語の派生の仕方を見る限り、 マヤ方言=かつて存在したそれぞれの都市で使われていた言語 なんだと思う。都市が放棄されるたびにそこの農民が別の都市に移っていたら、言語はもっと均一化されているはずだ。

というわけで、(たぶん)都市が放棄されても、マヤの農民は、もとの都市の近くに暮らしていたんだと想像する。
都市がなくなって人口が減っても、おそらく「村」みたいな単位では暮らしていけたんではないだろうか。

そもそも都市に住む利点が何かというと、防衛機能があるので外敵に強くなることや、他都市と交易して遠方の物資が手に入れやすくなることだ。しかしマヤの都市があるあたりはだいたいジャングルなので、分散して村単位で暮らせば、防衛機能はなくてもゲリラ的な暮らし方が出来なくもない。また遠方の物資、たとえば金属なんかは、なくても一応生活は出来る。多少不便かもしれないが、農民にとって、都市はあってもなくてもあんまり困らないものだったのかもしれない。


ほんとうに大切なことは、本には書かれていない。
歴史の中で、名もなき民衆のことが書かれることは滅多にない。

けれどわれらは現代に生きる"名も無き民衆"の一人である。自分と同じ立場の人間が、かつてどう生きたのか。そこが一番、知りたいと思うのだ。

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