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zoom RSS 登山とは総合知識のスポーツである。/登る「だけ」なら登山ではない理由

<<   作成日時 : 2016/10/20 00:10   >>

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芸人さんが山に登ったあとヘリで”下山”して批判されてるとかいう話があったので、んーまあヘリで下山すんのは登山じゃないよね(笑)って俺も思ったので、ちょろっと書いておこうかなと思う。その芸人さんが良い悪いとかは二の次である。芸人とは、身を粉(こ)にして民衆の求める芸をする職業。つまりそれを求める民衆がいるから芸をしているまでのことである。(※)


まず勘違いしてほしくないこと。
登山は、山に登ったり降りたりするだけのものではなく、いわば 総合知識的なスポーツ であるということだ。必要なのは体力だけではない。それはベースとして、むしろ知識が重要。

登山暦だけは長いものの大したスキルや経験があるわけではない自分が言うのもあれだが、登山は体力だけではどうにもならない。知識が必要なスポーツだ。知識とは、登る山とコースを選ぶところから始まっている。そして持ち物の選択。これが出来なければ山には登れない。

自分の体力、あるいは当日のメンバーの力量的に、どのくらいのペースでどれだけの時間を歩けるのか。荷物の量はどのくらいか。山小屋で一泊くらいなら小型のザックなので軽いが、テント泊なら当然そのぶん荷物は重くなり、体力を消費する。

天気や気候も重要だ。夏の盛りなら防寒具は少なめでいいが、代わりににわか雨のための装備が必要になる。前線が通過しようとしているなら風が強い可能性もある。風の強い日や雨の日は足場が悪くなり、歩くスピードは落ちる。無理なコース設定をすると気持ちだけ焦って滑落したり、体力が尽きて途中で動けなくなったりすることもある。

もし途中で体調が悪くなったら助けを求められる場所はあるか。予定の山行を打ち切って下山するエスケープルートはあるか。おなかが痛くなって下山中に日が暮れてしまう、なんてことも起こり得る。夏場なら野宿しても死にはしないが、低い山でも早春や晩秋は命に関わることもある。道迷いや転落で動けなくなったとき、携帯が繋がるとは限らない。もしもの時どうするかは出発前に考えておかなくてはならない。


こうした知識を「最低限」持って、自分の命に自分で責任を持つのが 登山 である。


ガイドさんに全部丸投げして、登山コースも天候や体力の判断は他人まかせ、荷物も他人に背負わせて登るのは、登山ではなく山を歩いただけ、ただ山で観光しただけなのと変わらない。ぶっちゃけ、山の山頂に立つだけなら、そんなに難しくはないんである。自分が全ての責任を負ってその場所に立つか、他人に連れられて歩いてきたか、そこが決定的な違いだと思っている。

だから、自分の体力とタイムスケジュールを考慮して自分で選んだのなら、ロープウェイを使って途中まで登っても登山は登山なんである。たとえば、朝東京を新幹線で出て、昼に山の麓につき、ロープウェイで手前の山までは登って、そこから三時間かけて次の山のキャンプ場に移動して夕方テント泊、次のから本格的に縦走開始。などというスケジュールも在り得る。登山なんだから乗り物を使って高度を稼ぐのは邪道、なんてことはない。




くだんの芸人さんを批判する山屋は、本質的にはここが気に入らないはずだ。自分の命を、責任ごと他人に丸投げして山に登った気になってたら、そりゃ腹は立つ。コイツは一体何をやってるんだ、と腹が立つ。

それに対して、援護する側は、芸人なんだから仕方ないでしょ、と言う。それも判る。芸人に死ぬかもしれない危険な芸を求めて面白がっているだけなので、登山モドキだろうが何だろうが、面白ければ何でも良いのだ。娯楽として消費する気の人たちは、芸人に判断能力など求めていない。

両者が和解することは決してないだろう。




少しだけ判るように、敢えて例えてみるならば、他人に責任を丸投げしての登山というのは、

 ・システム屋でいうと、与えられた手順書に従ってコマンドを打ち込むしか出来ないSE

 ・イラスト描きでいうと、他人の描いたものをトレスしてちょっと変えただけのイラストレーター

 ・翻訳でいうと、自動翻訳ツールで翻訳したもののてにをはをちょっと整えただけで訳したと言う翻訳家

…といったものと同種である。結果だけ見れば本職と同等の仕事をしているように見えるが、その過程が全然違う。自分の得意ジャンルで考えれば、なぜ本職の登山家が渋い顔をしているのか察しがつくのではないかと思う。




登山は経験がモノをいう。
しかし、意識してスキルを身につけようとしなければ、――とどのつまり、何度も「失敗」しなければ、スキルは身につかない。山に登る人は、何度も失敗してきた。低い山で失敗したことが高い山で生かされる。低い山で死なない程度の失敗を重ねてスキルアップしてから挑むのが高い山である。「山は高きがゆえに尊からず」。高い山に登れたからといって胸を張るのは、何も判っていない。登山では、「より高い山にたくさん登れた人」がえらいのではない。強いて言うなら、自分で、自己責任で「高い山に登れる人」=多くの経験とスキルを持つ人 が えらい。登山家が怒るのはそういうわけだ。


説教くせえなと思われるならそれでも結構。なんといわれようとも、山登りは最高の趣味である。そこにしかない体験、そこでしか学べないことがいっぱいある。キツい道もあれば、楽な時もある。同じ道でも、晴れていれば楽しいのに、雨だとひたすら辛いってこともある。
 山is人生。
ガイドやポーターに支配され、ヘリで降ろされる山が楽しいのかどうかはよくわからん。楽しくなさそうなんだけどなぁ・・・お仕事も大変やね?

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自己責任のかわりに好き勝手に歩けるから山は楽しいんだ。
登山地図見ながら「週末どのコースいこうかなー」とか考えてるときすっげえワクワクするよ。運よく珍しい動植物に出会えたり、絶景が見れたりすると最高だね!

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今年は8-9月がひたすら雨であんまり山に行けてないうちに秋が来ちゃった。
行けてもあと1,2回かなあ。〆はやっぱり、いつものあの山ですかね。


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(※) 命を落とすかもしれない危険な山行を女性芸人にやらせて感動しただの面白いだの言ってるのは、闘技場でグラディエーターにライオンを倒させて拍手喝采していた大昔の人間と何ら変わらない。非常に悪趣味だと自分は思っている。ただし、それを楽しいという人と、それでカネを儲けている人がいて世の中が回っているのも事実である。

障害児に悪天候の中を富士山の登らせてキャッキャするような番組もあったようだが、結局は同一線上にあり、それを求める民衆がいるから成り立っている。テレビが低俗なのではなく、見る人がそういうものなのだ。

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