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zoom RSS 鉄鋼業×考古学、製鉄の歴史をちょこっと調べてみた。

<<   作成日時 : 2016/07/01 00:10   >>

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隕鉄関連で製法を調べるために鉄鋼業コーナーをうろついてたら「産業考古学」なるものを見つけたので読んでみた。
この本は鉄鋼業寄りだが、家康の巨大大砲の製法を調べたり、廃鉱になった古い鉱山を調査してたりするので、確かに考古学的な内容も含まれる。考古学の本では軒並み間違えているか不正確になってる鉄鋼業の歴史や製鉄法に関する記述が詳しい。ただ逆に、考古学的な記述の部分はビミョーに間違っている部分もある(笑) エジプトの隕鉄の部分とかね… とはいえ、鉄鋼業に関する内容では新しい見地がいくつか得られた。

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まず面白かったのが、日本におけるタタラ製法は18世紀までに完成し、その後は停滞していたという話だ。そしてその技術は完全に日本オリジナルな独自路線の技術だった。

製鉄技法は、元々、中国から渡来したとされる。
日本で製鉄が開始された時期には複数の説があるという。最古の鉄器の出てくる紀元前1世紀とするものから、確実な証拠がある6世紀あるいは7世紀くらいまで下げるものまで。ただ、この段階では炉の温度があまり高くなく、製鉄の行われた場所も西日本に限られる。

そこから徳川の世のあたりまで製鉄は国の重要産業として発展していったが、鎖国され、かつ国内も平和だった時期には、鉄の需要があまりなく、技術が停滞することになる。鎖国が解けて西洋の技術が入って来ると技術差は歴然で、競争力がなく、結果的にタタラ製法は廃れるしかなかったという。

原因はというと、まず材料費が高すぎるということ。
日本では砂鉄を使うことが基本だったが、それを集める人件費が高い。
くわえて燃料とする炭をつくる手間もかかる。砂鉄と炭だけで経費の40から55パーセントを占めるというから、まぁ、輸入されてくる南蛮鉄に価格で敵わなかったのは分かる。

さらに炉の構造上、連続操業が出来なかったこと、単純に技術で負けていた(鉄の溶解が出来ない)ことなどの原因も重なって、和鉄の系譜はほとんど途絶えてしまったという。

たぶんこれはダマスカス鋼と同じルートだと思う。手間はかかるが美しくて特定の用途には向くけれど、普段使いのものは大量生産できて安いほうがいい。和鉄は日本刀など伝統工芸用として生き残るしかなかった、


あとたぶん、西洋の場合、侵略・略奪の精神で鉱山のある地域に攻め込んで現地住民を奴隷としてコキ使えば原材料費をタダ同然に出来たというのもでかいんじゃないかと思う。


読みながら思ったのは、製鉄の技術というのは基本的に「不完全」なまま拡散していったのだなぁ、ということ。
とりあえずの基本みたいなのだけ伝来して、その後は地球上の様々な場所で地域ごとに独自の進化を遂げていった。日本の場合も、とりあえず鉄を使うということ、鉄器については大陸から渡来しているが、その後の技術革新は国内オリジナルとして発展している。やることは同じなのでどこの国もだいたい似たような製法に行き着くのは間違いないが、そこまでの発展史は独特だ。




というわけで、やはり、「ヒッタイト帝国が崩壊したから製鉄技術が拡散した」というモデルには無理があるように思う。スタート地点があまりにも微妙なレベルだからだ。完成された革新的な技術がぶわっと広がっていったような感じでは無い。ヒッタイトの崩壊を契機に何かが広まったとしたら、それは「鉄っていう使いやすい金属があるよ」くらいの情報だけだったんじゃないだろうか。

或いは、ヒッタイトが既に鋼を製造していたという仮説が正しいのであれば、製鉄技術が既に存在する地域に、より強度があり実用的な「鋼」の製法が伝わっていったというのが正解かもしれない。

中間の中央アジアとかインドのあたりの製鉄業を調べられていないので、まだ日本にいたるまでの道筋は見えない。ちょろちょろ調べていこうと思う。


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