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zoom RSS 農耕の起源とギョベックリ・テペ遺跡 「考古学の定説」が古過ぎる件

<<   作成日時 : 2016/01/25 19:45   >>

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ふと目に付いたこの記事にものすごい違和感を感じたという話。

世界最古の神殿、新たな保護プロジェクト
http://natgeo.nikkeibp.co.jp/atcl/news/16/012200023/

ギョベックリ・テペ遺跡はトルコにある。発見は1963年。(というかトルコの他の遺跡と同じで多分地元の人は昔から知っていた。学者が"発見"したのがその頃、というだけ) 発掘はわりと最近行われていたと思う。

で、この遺跡の年代が1万年以上前で、農耕の始まる以前なので、「神殿建設に農耕・定住は必要ない」という話が出てきたのだ。

" 農耕が文明の起源だという考え方は、根底から覆された。従来の考え方は、狩猟採集民が定住するようになり、農耕によって余剰食物ができたおかげで、複雑な社会ができあがったというものだった。"


しかしそもそも、農耕が文明の起源だとか、余剰作物によって文明が育つという考え方自体、前世紀の遺産というか、相当ふるい定説ではないだろうか…… え、まだそれ定説だと思ってる学者さんいたんだ? くらいの……

農耕・定住をせずに最初に神殿を作っている文明は、実は幾つも存在する。最終的にインカへと結実するアンデス文明なんかもそう。


「神殿から始まる定住生活」アンデス文明の謎とナバテア文明のリンク
http://55096962.at.webry.info/201509/article_3.html


泉靖一が「はじめに神殿ありき」というフレーズを使ったのは1960年のこと。それから50年も経って、いまだに「農耕が文明の始まり」とか言ってたら、考古学者どんだけ情報に疎いんだよって話になる。いくら自分の専門外の地域の考古学を見てないにしても、流石にそれは無いだろう。

それと、ここで言われている「農耕を開始していなかった」というのは、たぶん麦の話だけだ。麦は栽培がめんどくさい植物の筆頭で、それ以外に半放置できるような栽培の簡単なものを栽培していなかったとは言いきれないと思う。

神殿を作るための労働力が必要になったから農耕を始めた、という説にも首を傾げる。狩猟・採集に比べると、大抵の農耕はむちゃくちゃ効率の悪い食料生産法である。(てきとうに放置してても政調するジャガイモなどは例外的な作物)
費やした労働力に対して得られるカロリーの量を考えればいい。それでも人が農耕を選択するのは、集住したい時だろう。非効率ではあるものの、単位面積当たりのカロリー量は農耕のほうが高い。

神殿から民族意識や文化は生まれるかもしれないが、農耕社会への移行は考えにくい。もっと他の要因、たとえば気候変動などでエモノが採れなくなったとか、近隣の他の部族と敵対関係になって纏まって住む必要が出てきたとか、そっちのほうがムリなく説明がつくと思う。


ちなみに、キョベックリ・テペの位置はここである。
ガズィアンテップの東…(´・ω・`)

画像


まぁそりゃ難民の通り道にもなりますし、そもそもここ今は観光でいけるような状況ではないんでは…。

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