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zoom RSS ギリシャ語文献にヒッタイトが出てこない理由をもう一度考えてみた

<<   作成日時 : 2015/10/14 00:10   >>

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忘却のヒッタイト〜ギリシャ・ローマの記録に何でヒッタイトが出てこないのかが分からない。
http://55096962.at.webry.info/201402/article_26.html


というわけで「なんでなん」という話である。

ヒッタイトはエジプトと双璧なす大国を築き、古代オリエント世界の東地中海沿岸を二分した一大勢力。しかし紀元前1200年頃によく分からない理由で滅びて、その後つい100年前まで全く忘れ去られていた(!)という状況だ。現在のトルコ領内であるアナトリアを支配した大帝国だったにも関わらず、そして遺跡があることを近所の人はなんとなく知ってたにも関わらず、たった100年前まで名前も存在もきれいさっぱり忘却の彼方。その場所自体には、ずっと人が住み続けていたにも関わらず、である。これをミステリーといわずしてなんというか。

で、私はギリシャ人が記録残してないことがずーっと気になっていた。
ギリシャ語文献はよく研究されているから、そこに残っていれば100年前まで忘れられてるなんて状況にはならなかったはずだ。一言でも「イオニアの奥地にかつて大帝国があったんじゃよ…」みたいな伝承があれば、全然違ってたと思う。

なんでギリシャ人は記録残さなかったのか?




あれこれ調べたり考えたりしてみた結果、出た結論がこれだ。


 ヒッタイトが滅亡してからギリシャ人が文字を使い始めるまでの450年間の間に忘れられてた。

そう、忘れちゃってたのである。
ただし完璧に忘れてしまったわけではない。ヒッタイト末期に起きた大きな戦争の記憶だけは残っていた可能性がある。それが「イーリアス」である。ホメーロスの「イーリアス」の舞台は、ヒッタイトの同盟国である可能性があるというのだ。


言葉で説明するのが煩雑になるので、ざくっとした年表を作ってみた。
ヒッタイトの記録はエジプト、旧約聖書には存在する。ヒッタイト側からミケーネについての記録も存在する。なので、ギリシャ人だけがヒッタイトの記録を残していないというのが浮いている。

しかし年表にしてみればなんとなく分かってくるが、ミケーネ文明崩壊後のギリシャ文明は暗黒時代といわれる低調な時期に入っており、ギリシャ文化を構成する人々も移住・離散の時代なのだ。

画像


ポイントは紀元前1200年ごろ。
この時代、アナトリアと、ギリシャ周辺の世界は、それぞれヒッタイトとミケーネという当時隆盛を誇った文明がほぼ同時に壊滅したことにより、記録の乏しい「暗黒時代」へと突入する。

ヒッタイトについてはシリアに移住して新ヒッタイトとしてしばらくは小国家を運営する。彼らはヒッタイト帝国から来てるわけだから、当然ヒッタイトのことは覚えている。お隣さんのイスラエルも覚えていたようで、のちに伝承を旧約聖書を編纂するときにはちゃんとヒッタイトの記述も入れている。

一方でギリシャは、ミケーネ崩壊後は文字を忘れてしまい、紀元前8世紀半ばにエトルリア文字を元にしたアルファベットを使い始めるまで文字による記録がない。

記録しようにも文字がなく、口伝として残ったのは一部の華々しい戦争の記憶だけで、その記憶はのちに「イーリアス」となったものの、それ以外の口伝は残されることなく散逸してしまったのでは? というのが予想したストーリーだ。なにしろ450年もある。人がそこに町があったことを忘れるのには、100年もあれば十分だ。100年あれば、実際に体験して覚えていた人は死に絶える。そして口伝は、一度途絶えると二度と復活しない。

おそらく、ギリシャ語でヒッタイトの記録が残っているとすれば、ミケーネの線文字Bになるだろう。
しかし線文字Bは残ってる量があんまり多くないうえに解読されたのがつい半世紀前。そしてヒッタイト語やその他の言語についても、解読されたのが20世紀に入ってだ。


参考: 古代文字の解読の歴史
http://55096962.at.webry.info/201210/article_1.html


だから、一度忘れされられたヒッタイト帝国の発見がたった100年前なのは、文字記録を頼れなかった時代としては仕方ないのかもしれない。ミケーネ人が残したヒッタイトの記録は、これから見つかるのかもしれない、と期待しておこう。

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