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zoom RSS アスワン・ハイ・ダムが出来る前の本。「エジプト美術の旅」

<<   作成日時 : 2015/06/26 00:10   >>

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昭和38年発刊。その当時で800円なので少々お高めの本だったのだろうか。なんとなく物珍しくて手に取った。
はっきり言ってしまえば、今となっては取り立てて読む価値はほとんどない。何しろ情報がむちゃくちゃ古い。アスワン・ハイ・ダムに沈む予定のアブ・シンベル神殿の救済計画が、変更前のイタリア案のままで、「神殿を岩盤ごとジャッキアップする」という内容で書かれているくらいなのだ。実際に実行された案は、周知のとおり神殿の岩盤を切り分けてブロック化し、別の場所で組み立てるという案である。

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面白いことに、少し前にダメ出しした「エジプト美術の謎」という本とそっくり同じ勘違い(というか古い情報)を載せていたりする。昭和38年の本と平成の本が同じ内容じゃまずいだろう(笑)

しかしこの本は古いので許されるんである。当時ならではの色々な誤解が「ああ、そういや昔これが定説だったなぁ」とか思いながら読める。ツタンカーメンの暗殺説とかもそう。まだ早稲田大のエジプト調査隊も誕生していないので、エジプトで発掘をしている日本人考古学者がいないと著者は嘆いている。エジプト本の日本語での発刊も少ないという。当時だとそういう感想になるよなぁという感じ。

で、この本で注目に値するところはエジプトから日本へと続く美術様式の流れを仮定しているところだ。正倉院の宝物の中に書かれているヤツガシラという鳥の模様が、エジプト美術と似ているというところとか、ツタンカーメンの遺物に使われている木工技法が日本のものと同じだといった話だ。これらの大半は、偶然の域を出ないと思うし、著者も思いつきだけでとくに根拠は述べていない。「今後の検証が必要」という感じの書き方だ。しかし正倉院の宝物がペルシャまで辿れるからには、エジプトまで繋がっていてもいいじゃないかという発想は面白い。私もその可能性は考えてみたことがある。逆から辿れば、アレキサンドリアからインドのガンダーラあたりまでは確実に繋がっていたのだ。どこかに日本へと繋がる細い流れはあったのかもしれない。…証明は難しいが。

そしてもう一つは、「文化」に関するこの言葉である。

"「文化」を「伝統」という言葉に置き換えてみたらどうだろう。伝統は創造されるべきもので、いたずらに死守されるべきものではない。死守された「伝統」は「因習」にすぎぬ。言いかえるなら、伝統とは用語されずとも自ら生きているものでなければならぬ。"

確かにそうだなという感じ。伝統をかたくなに守ろうとして新しいものを生みだす力を失っていたのがエジプトの新王国時代以降だった。伝統が因習になったとき、文化の力は既に死んでいる。無理やり守ろうとするものは伝統ではない。これは今の日本人も心に留めておくべき言葉だろう。

この本は古いので、特に真新しいこともなく、エジプトの知識を得るという意味では役に立たない。
しかし、書かれた当時の、昭和38年という時代のエジプト学のレベルや、当時の遺跡状況を知ることは出来る。そういう本である。

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