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zoom RSS 人の生死を見続けるということ。「インカの末裔と暮らす」

<<   作成日時 : 2015/06/18 00:10   >>

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これも古本屋めぐりをしていて見つけた本。たまにこういう、全く意識の外にあった良本と出合えるから本屋めぐりはやめられない。



著者は関野吉晴。植村直己を別にすれば、日本で誇れる有名どころの"探検家"No.1にくるだろう人物。

 ご本人の公式サイトこちら
 http://www.sekino.info/

たぶん一定以上の年齢の人には「グレートジャーニーの人」と言えば通じると思う。
少し前にはナショジオで特集も組まれていた。

http://natgeo.nikkeibp.co.jp/atcl/magazine/15/032300002/032400006/

以前書いたように、私は冒険者や探検家を名乗る人を信用していない。だが、この人は、数少ない「本物だ」と思っている人の一人である。「生きてさえいれば、何回でもチャレンジはできる」というその精神は、本当に大事なものだ。引くときには引く。意外と難しい生き方だ。必要なときに撤退できる冒険者こそ本物だ。

上記ナショジオの記事はWebでは途中までしか紹介されていないが、その続きにはこんなことが書かれている。

"研究者、ジャーナリスト、写真家など、選択肢はいくつもあった。しかし、「何でもします」と言いつつ何もできない自分を受け入れてくれたマチゲンガの人たちを調査や取材の対象とするのではなく、友達でいたかった。

そこで医師になろうと思った。それなら自分も何か役に立てるかもしれないし、人間の心や体にも興味があった。日本で開業医や勤務医になる気はなかった。受験勉強をして医学部に入りなおした。授業料や生活費のほか、南米に通う資金も必要だ。ありとあらゆるアルバイトをし、新聞社の冒険支援プロジェクトに応募して見事支援を勝ち取ったこともある。医師になってからも借金をして、帰ったら働いて返すというパターンが続いた。"


なんというカッコいい生き様。これですよ。こういうのが好き。
自分は大した苦労もせずツイッターやらFacebookやらで簡単に募金募って海外旅行のノリで冒険(笑)に行ってドヤ顔しちゃう自称探検家は正座して話を聞くべき。

医師になったあと、この人は南米に通い続ける。何十年も。その中で見てきたものの一部がぎゅっと詰まっているうちの一冊がこの本だ。築かれた信頼関係と、人の生死。本の舞台となっているアンデス奥地のケロ村に最初に訪れたのは1981年というから、もう三十年以上前だ。本が出た時点で二十年通っている。当然、その中で人の生き死にがある。最初のほうのページで幼かった少年が、後ろのほうでは成人して結婚している。生まれてきた命があれば、亡くなった人もいる。ありし日の姿が淡々と語られる。写真のキャプションで「その後、この赤ん坊は肺炎で亡くなった」のようにたった一行で書かれていることもある。まさに「インカの末裔と"暮らした"」と言える記録だ。

*****

ケロ村は、インカ時代の文化を色濃く残す稀有な村だという。

インカ関連の本を読むと、「垂直の支配」という言葉が出てくる。これは帝国自体が高低差が大きく、版図の中に海抜0メートルの海岸地帯から、海抜8000mを越す高峰までがあり、高低差を利用した様々な生産品の交換が行われていたことを言っている。海沿いでは海産物をとり、それより奥地ではトウモロコシやコカを育て、山に入ってもっと高度が上がるとジャガイモ、アルパカなどの家畜の放牧… と、高度差によって作るものが違う。

ケロの人々は、それら高度差を一つの村でまかなっている。つまり、普段は放牧のために高地に住み、トウモロコシの種まきや収穫のシーズンになると低地に降りてきて、また高地戻っていくという生活だ。家畜の世話は手間がかかるので、そちらがメインとなる。トウモロコシは撒きっ放しでいいという。放牧の合間にはジャガイモを育て、乾燥させて保存食にする。

村の中で自給自足できる生活なので、外部との接触はあまりない。そのため昔の習慣が守られて続けているというのだ。

ただし当然のように死亡率は高い。赤ん坊が生まれも多くが早死にしてしまう。
そして学校へもなかなか通えない。子供たちも重要な労働力だ。

あまり感情的に文章を盛り上げる著者ではないので、全般的に語り口は淡々としている。そこがいい。インカの末裔たちの村は、悲惨な未開地ではないし、楽園でも神秘的な場所でもない。ただ「ありのまま」だ。写真の中では泣いている人はいない。決して楽な暮らしではないはずなのに、多くの写真の中で人々は、はじけるような笑顔を見せている。それを見て、あなたはどう思うだろうか。



本の中では、「ケロ村が伝統を守れるのはあと5年くらいだろう」と言われている。
近くの村まで電気が通り、道路も延びているからだ。出版されたのが2003年。今は2015年だ。今のケロ村はどうなっているのだろうかと読み終わったあとに思った。

世界は変わってゆく。
今やアフリカの奥地でも、アマゾンの人々でも、携帯電話を持ち、テレビとは何かを知っている。
失われるものも多いが、得られるものもある。伝統は失われてゆくのではなく、変化していくものであり、それは人が生きる上で必要なものなのだと思う。

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