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zoom RSS メソポタミアの神様たちに召使がついているのは何故なのか。

<<   作成日時 : 2015/05/03 00:10   >>

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厳密にいうとシュメールの神様、だが…。



シュメールとアッシリアの神話の関係は、ギリシャ神話とローマ神話の関係に似ている。「メソポタミア神話」と言われているものはザックリ言うと、はじめシュメール人が作り、それをアッシリアが引き継いでメソポタミアから東地中海一体に広がっていったもの、という感じだ。

で、シュメール語の神名/役割とアッシリア語の神名/役割は、違う部分もあるがだいたい同じだ。
前者の大気の神はアン、後者ではアヌ。エンキはエアになり、イナンナはイシュタル。

その対比を眺めていたときに、ふと気が付いたのが、「有名な神様には大抵随神がいる」ということだった。

たとえばエンキについているイスィムドゥ(イシム)、イナンナのニンシュブルなど。アプスーと共にいるムンムも、おそらく従神なのだろう。

彼らの役目は、人間で言うならさしづめ「召使い」だ。必ず同性で、男神には男神、女神には女神がついている。行動を共にするが家族や伴侶でないことは明らかである。これ何でだろうと考えてみたのだが、シュメールの神話にでて来る神様たちがやたら人間的なことと関係してるのではないかと考えた。

メソポタミアの神話においては、そもそも人間は神様たちの労役を肩代わりするために作り出された存在だった。神々も昔は人間のように働いていたのである。炊事洗濯家事全般、畑を耕し羊を飼う。しかしエラい神様はそんなことやるわけにはいかない。そこで身の回りの世話をする世話係の召使いがいる設定にしたのではないか。

いってみれば神様の世界は神様の世界で、人間社会と似たような上下関係があったわけだ。伝令や用事の代行などもしているから、召使いというより秘書的な存在なのかもしれない。時間も空間もすっとばすエジプト神話などに比べると、メソ神話は妙なところでリアリティを要求している。


そうして考えてみると、フンババ制圧の旅でギルガメシュのために野宿の準備をするエンキドゥは、ギルガメシュを神とした時の随神ポジションになるのかな。やつは生活感なさそうだしな。一人暮らしさせたら毎日出前で暮らしてそう。



というわけで、

 メソポタミアの神様は自分でパンツ洗えない

 エジプトの神様は神秘の力でパンツをなかったことにする



という結論に達しました。
パンツがどこから出てきたかは聞いてはいけない。

エジプト神のパンツは洗ってないのに常に真っ白だと私は信じる。(キリッ

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