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zoom RSS "狭間の時代"の考古学「ナイル世界のヘレニズム」

<<   作成日時 : 2015/04/04 00:10   >>

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前々からプトレマイオス朝専門の学術書があんまり無いなぁと思っていたところにこれが出たのでタイムリー。
さっそく買いに行ってきた。

ナイル世界のヘレニズム―エジプトとギリシアの遭遇―
名古屋大学出版会
周藤 芳幸

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プトレマイオス朝は、エジプト学者からは「もう古代エジプトの時代じゃないしなー」と敬遠され、ギリシャ学者からは「えっだってエジプトじゃん?」と敬遠される、かなりハミ子なジャンルなんである。そしてエジプトマニアから見た評価も低い。

美術様式は変化してしまうし、神話もギリシャのと中途半端に混じってしまっていてワケワカメになっている。ヒエログリフは神秘主義なんだかなんなんだか文字数増えまくりで細かくビッシリ書くスタイル、辞書片手に頑張っても全然分からない。初期キリスト教徒にツッコまれるまでもなく、プトレマイオス朝の生み出した主神セラピスは圧倒的にダサい。(主観) ファラオ連中は、最後のクレオパトラ7世が有名なくらいで、それまでの王たちはほとんど知られていない。専門家もマニアも、ここの時代が好きだという人は滅多に見かけない。

だが、かのアレクサンドリア大図書館を築いたのは紛れも無くプトレマイオス朝であり、当時世界最先端の分火力を誇っていたのはプトレマイオス朝首都のアレキサンドリアである。プトレマイオス朝の時代のエジプトは、世界の中心だったのだ。
そして、その時代のエジプトは、統治者こそギリシャ人に変われども、栄光の古代エジプトから確かに連続していたのである。


…というのが、この本の初めのあたりに書かれている内容をざっくり簡単にした内容だ。
敢えて、いままでエジプト学者もギリシャ学者もあんまり相手にしてなかった狭間の世界を取り上げてみるぜ! という意欲的な研究の集大成であり、こういうのが読みたかったんだよ!とずっと待っていたものでもある。 (※ただしこの本には幾つかマズい点がある…それは末尾に記載。)

ではタイトルにある「ヘレニズム」とは何かというと、この本ではこう説明されている。

地中海とオリエントにおける紀元前の最後のおよそ三百年間は、ヘレニズム時代と呼び慣わされている。周知のように、この時代区分が普及する画期となったのは、ドロイゼンによる「ヘレニズム史」第一刊の公刊(1836)であり、これを出発点として、アレクサンドロス大王の東征からローマによる地中海支配の確立までをヘレニズムという概念で捉える歴史観が定着して久しい。


アレクサンドロスがエジプトにやってきたのは紀元前338年。アレクサンドロスの死後、ディアドコイ戦争を経て後継者たちが領土を分割、そのうちエジプトを手に入れたのは後継者のひとりプトレマイオスだった。紀元前305年、ここからプトレマイオス一族による支配「プトレマイオス朝」が開始される。しかし、この瞬間からエジプトが突然大きく変わったというわけではない。むしろ歴史は連続している。

今までのエジプト学者は、「古代エジプト」と「プトレマイオス朝」を連続した歴史の上でとらえることが出来ていなかった、というこの本に書かれた批判は正鵠を得ていると思われる。プトレマイオス朝は確かにギリシャ系の人々による支配だが、支配者層にいきなりギリシャ人がぽんと入ってきたわけではない。その前の時代を見ても、ギリシャ系か混血か、というような名前が幾つか並んでいる。既にギリシャ系の移民がある程度入ってきている状態からのプトレマイオス朝スタートなんである。

だから古代エジプト本が、プトレマイオス朝は申し訳程度に触れて末期王朝からいきなりすっ飛ばして終了することが多いのは、ぶっちゃけ書いてるエジプト学者の人が「えー…ギリシャとかよくわかんないしー…」って逃げ打ってるだけともいう。自分の範囲はここまでだ、って歴史をブチ切っちゃだめなのだ。歴史は必ず連続する。ある瞬間から突然、文化や人種比率がどかんと変わるなんてことはない。

もっとも、エジプト学者がプトレマイオス朝の本を描けないのは、古代ギリシャ語が読めないからというのもあると思う。プトレマイオス朝の公用語はギリシャ語なので、出てくるパピルス文書などはギリシャ語のものが多い。ちなみに、この本を書いてる人も古代エジプトではなく古代ギリシャ専門。



この本の面白いところは、そうした「狭間の世界」、今までスルーされることの多かったプトレマイオス朝をエジプト史として書いているということだけではない。本の中心は、アコリス遺跡という、ナイル中流域の何の変哲もない採石場のある町の発掘によって得られた資料だ。そこは、日本の発掘隊が二十年来掘っている場所である。アレキサンドリアに焦点を絞った本なら今までにも出ていたが、庶民の暮らした町に焦点を当てた本は今まで見た覚えがない。その意味では、長年調査してきた日本人だから書けた、という本でもある。

細かい話は実際読んでもらうとして、遺跡から出てきた家族の文書の解析はすっげー面白い。ギリシャ系エジプト人はギリシャ語の名前とエジプト語の名前を持っていて、前者の時はデュオニシオスと名乗り、後者の時はプレーニスと名乗っている。また公文書をギリシャ語とエジプト語両方で作っていて、その理由というのが、ギリシャ語で訴える場合とエジプト語で訴える場合で訴訟を起こす先の裁判所が違うから、らしい。

ギリシャ語とエジプト語の併用期間があり、住民も両方のアイデンテイティを持っていた時代があったことが分かれば、ロゼッタ・ストーンがどうして作られたのかもわかろうというもの。またプトレマイオス朝の初期の時代から、ナイル奥地のアコリス付近にもギリシャ系の人が暮らしており、生活スタイルが次第にギリシャ文化と混じりつつあったことも分かってくる。

全編にわたり、今までになかった斬新な視点が多く興味深く読める本だった。ちょい難しめではあるが、これを読めば、エジプトのローマ併合、そしてビザンツ時代へと至る流れが分かりやすく整理できるのではないかと思う。特に「世界が変わる時代」みたいなのが好きな人にはオススメしたい。


******

ただし、この本には、けっこう大きめの致命傷がある。
そのうちの最大の一つが第一章に出てくるこの部分。

というのも、世界史を振り返るならば、前近代において二つの異なる文化を持つ集団が接触した場合、通例はどちらかが他方よりもはるかに高度な技術や文化を備えているために、影響関係は一方的であることが一般的である。大航海時代におけるヨーロッパ人の新大陸への進出は、その典型的な例であろう。



読んだ瞬間「えっ」と二度見したほどだ。
大航海時代のヨーロッパが新大陸(インディオ)たちよりはるかに高度な文明を持っていたと著者は述べているのだが、とんでもない勘違いである。中南米の文化を少しでも齧っていれば、劣っているなどと絶対に言うことはできない。芸術、農耕、政体に至るまで、ヨーロッパに見劣りしない。むしろ超えているのではないかと思う部分さえある。
始めてインカを訪れたスペイン人は、その文化の高さにビビって「きっとこれローマが作ったに違いないよ」とか言ったくらい。

これは単純に差別イクナイとかの話ではなく、断固とした事実である。
ヨーロッパ史をやっている学者さんたちの中には、いまだに「鉄や文字のない文明は劣っている」という無意識的な呪縛から逃れられていない人がいる。それは「文明とはローマ的なものだ」という固定観念でもある。しかし文明のあり方は多種多様だ。インカに文字はなかったが、必要な情報を残すことは出来た。インダスには王権は存在しなかったが、大都市を築けた。エジプトに奴隷制は発達しなかったが、大帝国となれた。

中南米の文化は鉄を発明しなかった。だが冶金術が無かったわけではない。それは残された美しい黄金の芸術品の数々を思い浮かべてもらうだけで容易に理解できるだろう。要はどのステータスを集中して伸ばすかという違い。すべての文明は、ステ振りの違いと思えばいい。筋力が低いからと、幸運全振りのキャラをナメてはいけないのである。


ていうか、大航海時代のヨーロッパは過大評価されすぎなんですよ。
ヨーロッパがインドに到着したぞーやったー! とか言ってた時代、中国から鄭和がアフリカまで来てますし。普通にインド〜アフリカ交易をやってるとこに、後からヨーロッパ人とかいう田舎もんがなんか貧相な船で来たよ、っていうのがアジア側から見た「大航海時代」。高度な文明とかとんでもない。

というわけで、「二つの異なる文化を持つ集団の接触」でこの例をもってくるのは不適切だし、もっと言うと、文化には多様性があって共通の尺度などないので、簡単にレベルを比較することは出来ず、この書き方自体がおかしい。もし英語版を出すのであれば、ここは本気で修正を考えたほうがいいと思う。総ツッツミ食らうわ…。

ついでに言うと、この直後にバーナルの「黒いアテナ」に言及するのもどうかと思う。
あれは読む価値のないツッコまずにいられないページがほとんどない本だった。評価している本職の人がいることにビビったくらい。



もう一つが、第七章に出てくるここ。

ピラミッドをはじめとする王朝時代の巨大なモニュメントは、農閑期における失業対策事業としての一面をもっていたことが知られているが、古代エジプト文明を彩るモニュメントの数々は、ナイルの増水がもたらした農閑期があって初めて生まれたものだった。


さらっと定説のように書かれているが、そんな説は知られてない。
ていうか農閑期は失業期間じゃない。農業は収穫の時に一年分の食料を得るスタイルの仕事なんで。現代のコメ作農家の人を指して、冬の間は失業中ですねーとか言わないでしょ。でもって、かなり早い段階から人工灌漑による二毛作が開始されてるので、意外と古代エジプトの農家の人は忙しかったはずだ。

農閑期に人を駆り出していたのは事実だが、それを失業対策と表現するのが間違い。あと、農閑期があったのは他の農耕中心の文明でも同じだということを前提におくべきじゃないかと思う。

もしこれが正しいというのなら、ここに出典元をつけるべき。探してみてほしい、まともな出典元ないから(笑) 私もこれツッコみいれるときだいぶ探したけど、Y村作治さんのテレビ出演と一般向けの本しかありませんでしたよ…
ツッコもうにもツッコむ先の出典が無くて逆に苦労した案件なんだ…。

なお、これも直後に出てくる「モニュメント建設に必要な土木技術は増水対応(堤防のメンテナンスなど)を通じて継承されていった」という記述が少し違うと思う。ピラミッド建設に必要だった石材の切り出しや石積みの技術は、残念ながら治水工事には使えない。使えるとしたら神殿建設とか。継承されたのは、大人数の労働者を集めて一気に働かせる人材管理手法のノウハウであって、土木技術ではないだろう。そして、ある程度は継承されたにしても、二度にわたる「中間期」のあたりで断絶が無かったと言いきれないのだから、これも、根拠があるならソースを提示して欲しい。その論文読みたい。



最後が第十三章のここ。

1799年のロゼッタ・ストーンの発見からジャン・フランソワ・シャンポリオンによるヒエログリフの解読までには二十年以上の歳月を要し、また、最後にシャンポリオンに解読の成功を確信させたのもロゼッタ・ストーンではなくアブ・シンベル神殿の碑文だったことはよく知られているところである。


本来なら、ここにはアブ・シンベルではなくフィラエ島のイシス神殿第一塔門前のオベリスクの碑文が来るはず。
これは純粋に勘違いによるミスだと思う。



以上、「直さないとマズいっしょ」な部分を挙げてみた。
エジプト古代史の部分の記述がちょっと弱い気がしました。あとがきで誰が関わってるのか確認してみたりもしたけれど、プトレマイオス王朝以前の、いわゆる「メジャーな」エジプト史やってる先生のチェックを貰ってないんじゃないかなーとかなんとか。

読みたかった内容の本で、大変面白かったのだが、本筋以外のところでツッコみどころがあったのは残念。

それとともに、「いまだに新大陸の文明は劣ってたとか前世紀的な意識の歴史学者っていたんだ…」みたいな衝撃もあったり。いやー資料がほとんどなかった時代はそんなもんだったんだと思います。だからこそオーパーツ論とか出てきたりもしてたんだと。でも今はね。日本からも中南米に発掘隊行ってますし、その報告見てればね。戦争のコントロールの仕方とかは、むしろローマ以上に進んでるんじゃねって思うくらいなんだ。


*****

<<ほかの追加分>>


P156の「ファルムーティ月はシェムウ4月」→ファルムーティ(パルムティ)はペレト4月のはず。


P149の「古代エジプト世界における重要建築資材は石灰岩と砂岩」→花崗岩が入ってないです。(´・ω・`)


第8章のコプト語の月名の表記「パコン月」は、元のエジプト語がパ・エン・コンスでコプト語綴り見ても最後のsは生きているので「パコンス」じゃないかなーと思う。発音的にパコンに聞こえるとかかもしれないので、これはちょっと気になったくらいですが。

P166の「採石場での作業は春先(テュビ月)から活性化」 →テュビ月は現在のコプト暦では1/9〜2/7、春先?
ナイルの水が引くと採石場の仕事が激減すると書かれているが、ナイルの氾濫に頼る場合の作付けは冬小麦なので、収穫期が春から夏の間にくる。テュビ月からナイルの氾濫開始までの期間だと、収穫期を含む最も忙しい時期に採石場の仕事をしていることになり、説として破綻している。たぶん古代暦と現代暦の読み替えを間違えている。

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