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zoom RSS インダス文明黎明期から見るイラン高原・アラビア海方面との交流&商売のための文明論

<<   作成日時 : 2015/02/17 00:10   >>

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インダス文明をぽちぽち調べ始めたはいいものの、欠けていた情報があった。それは「そもそもインダス文明どうやって始まったのよ」という黎明期の情報だ。

インダス文明に関する本は、いきなり遺跡の話から入ることが多い。ガーンメール遺跡とは、ハラッパー遺跡とは、ドーラーヴィーラー遺跡とはetc、各々の遺跡の位置と属する時代と、発掘の歴史と特色と… と続く。そういうんじゃなくて全体のザックリした流れがまずないと普通わかんねえよ、って話である。体系だって説明できる資料が少ないのかなぁなどと思っていた。

その意味で今回オリエント博物館でやってるクローズアップ展「インダス文明を掘る」と、それに付随する発掘者の講演会は穴埋めとしてぴったりだった。
http://aom-tokyo.com/exhibition/150214_indus.html

まだ本を2-3冊読んで周辺文化の知識とつなげるのに四苦八苦してる状態だが、とりあえずは吸収分をメモっておこうと思う。


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●インダス文明ざっくり流れ

紀元前3000年〜2600年あたり

イラン高原、中央アジア、アラビア半島(アラビア海沿岸)との交流によって刺激されたインダス文明の基礎が誕生。中心地はかなり北より。文化的には統一されておらず、小都市が散在している。


紀元前2600年〜1900年あたり

インダス文明の繁栄期。広範囲に同じ文化をもつ都市が築かれる。
大都市が出現しはじめ、土器がハラッパー様式に統一されていく。

学者によってこの期間をいくつに分けるかは異なるが、土器でみると、土器の様式が統一されていく時期→再びバラバラになり地方ごとに異なる時期 と分けられる。


紀元前1900年〜

インダス文明衰退期。主要都市が見捨てられ、人々が東および南へ移住し始める。(おそらく気候変動などが原因) インド各地で後継の文化が築かれる。その代わりインダス文明の特徴は消えていく。

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インダス文明の成立については、かつて定説とされ、そして今では否定されている、有名なウィーラーの説がある。「アイデアには翼がある」という言葉で有名な、メソポタミアからの影響によってインダスの都市文明が始まったというものだ。

しかしインダス文明地域の遺跡の発掘が進むにつれ、都市を築いている点や、同じく印章を用いている点などはあっても、都市の内容がメソポタミアとはあまりにも違うことが分かってきている。そのため、ウィーラーの説は否定されたのだ。

しかしアイデアに翼はなくても足はある。つまり人間の移動や交流に沿って伝わってくることはありえる。
ウィーラー説が否定されたあと「じゃあ正しいのはどういう説なの」というのがあまりハッキリせず、かといって他の地域との交流が無かったわけでもないだろーと思っていたのだが、今回は、インダス黎明期の交流図を見つけることが出来た。

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あーうんこれなら納得。
アラビア半島にも繋がってるからね。後々カーネリアンビーズとか輸出するときに中継地点にもなる地域だね。
中央アジアとも繋がっているというのが面白い。インダス文明の都市にはアフガニスタンからラピスラズリ原石が運ばれていたが、そのルートも、既に文明黎明期から存在したということだ。インダスの都市群は交易ルートとともに成長していったといえる。

この視点からすると、交易ルートの寸断と、インダス文明の衰退が機を同じくしているのも示唆的だ。どちらが主要因でどちらが従属なのかは今のところ分かっていない。だが、交易を基盤として発達した都市群だったからこそ、交易路が衰退あるいは変化したことによって影響を受けざるを得なかったというのは、おそらく確かなことだろう。

最近では、インダス文明を形成していたのが多民族・多文化の集団で、一つの「国家」ではなかったらしいというのも分かってきているが、交易にたずさわる商人たちや、交易用の装身具などを作る職人が都市民の中心だったとすれば、一つの民族である必要も一つのアイデンティティを共有する必要もない。単に商売に必要な共通の「決まりごと」、たとえば商売に使う通貨や言語だけがあればいいことになる。インダス文明に特徴的な「印章」など、まさにそれではないかと思う。

黎明期の姿から見えてくるインダス文明の姿は、確かにメソポタミアとは違う。



そしてもう一つ、前に読んだ「インダス文明の謎」に出てきた女神像の話。


ケノイヤーに案内されて訪れたパキスタン考古曲局カラーチー事務所には、バローチスターン州で発掘された土器が雑然と並べられていた。女神土偶である。これら土偶はインダス文明期以前のものだ。髪飾りと飛び出したような目に特徴がある。



こんな感じでした…

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なんだこの巨乳

つーか子供抱いてるのはともかく、左上のほうとか完全に乳が主体じゃねーの? オィイ? もうこれ現代日本のアニメの奇乳とか笑ってる場合じゃねーよどうすんの。

後のインド美術に見られる巨乳ラクシュミー像に通じる巨乳文化は紀元前3000年で既に誕生していたということなのだなとかシミジミ思いつつ、インダス文明は巨乳文化圏であることが今日、私の中に刻まれました。エジプトはちっぱい至上主義…微乳文化圏だからッ…!

いつかマジメに、文明黎明期における女神像の乳のデカさを比較してみたいと思います。これ人類の起源に関わる非常に重大な問題だから。

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