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zoom RSS 稲作以前にも農耕はあったのか? 縄文時代の農耕考察本を読んでみた

<<   作成日時 : 2015/02/11 00:10   >>

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何故手に取ったのかは聞くな。(キリッ
というわけで前段すっ飛ばして普段は読まないジャンルで「稲作以前」という本を読んでみた。


日本の黎明期の歴史は、縄文時代→弥生時代と続く。
今はどうか分からないが、かつての教科書に書かれていた(自分が勉強した頃の)内容では、縄文時代は狩猟採集の時代、弥生時代が農耕牧畜の時代、とはっきり区分されていた。弥生時代に、大陸から稲作が伝わり、弥生時代に稲作が始まった。それまでの縄文人は農耕を知らなかった、と。

しかし、稲作は大変な作業だ。いくらコメがおいしいからといっても、いきなり稲作を始められるものではない。稲作以前に、実は既に簡単な農耕はあったのではないか。 その手法は、日本の山村や、ほかのアジア圏で今も行われている焼き畑農業だったのでは無いのか。

…これが、この本の要約である。

新版 稲作以前 (NHKブックス No.1225)
NHK出版
佐々木 高明

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言われてみれば「あーまぁそうだよね」って感じである。

既に縄文時代に農耕の概念は存在していて、受け入れる地が出来ていたから稲作も受け入れられた、と考えるほうが歴史の連続性としては自然だ。ていうか農耕始めるとライフスタイルがガラッと変わるわけなんで、何も下地がないところでいきなり変えるのは難しいよ。

アジアの狩猟民、たとえばパプアニューギニアの高地民なんかは今でも狩猟しながらイモ畑作ってたりするし、あんな感じの暮らしをしてたんならそこから稲作はすんなり行くだろうな…とか思いながら読んでいた。

縄文時代の農耕として想定されているのは、アワ・ヒエやイモ。採集生活をしながら、畑で作った食べ物で栄養を補っていたのでは、というのが仮説となっている。しかし焼畑は面積辺りの収穫など効率が悪く、アワやヒエはあまりおいしくない。メインの食料とはなりえない。完全な定住・農耕へ移行するのに稲作伝来を待たねばならないのは、そのためだ。

著者はインドなど近隣アジア圏での焼畑の実態調査も行っているので、比較には説得力がある。


ただ、焼畑についてのこの記述は、ちょっと微妙にうーんという感じ。

「焼畑農耕は、一般に灰を唯一の肥料として作物の栽培を行い、土地の養分がなくなるとその耕地を放棄する…」というのが、焼畑について世間一般に通じている教科書的な見解だ。このうち前段に当たる「灰を唯一の肥料として」ということが、事実に反することはすでに述べた通りだが、後段の「土地の養分が無くなると」という部分も、実はたいへん具合の悪い見解である。焼畑耕地が一定の期間で放棄される要因には、表土の流出や地力の減退という条件もあるが、その中でもっとも重要なのは、さきに述べた通り、幼樹を含む雑草の繁茂が著しく、このために地力が十分に残っていても――実際には雑草が猛烈に生えるほど地力はある――現実には作物が雑草に圧倒されてその栽培を続けることが困難になるためである。



いや言いたいことはわかるんだけども。山間の畑の雑草駆除が大変なのはよくわかる。田舎の家庭菜園で経験済みだけども。

ただ、実をつける作物は、土地の養分がなくなると実が小さくなり効率が悪くなるが、実の大きさなんか気にしない雑草はそんなの関係ない。養分が減ってきたときに最後に残るのが雑草なんではないの? と思う。アワやイモですらよく育たないくらい土地が痩せても、雑草は繁茂出来るんじゃないの? と。
つまり 雑草とる手間 >>> 作物の収穫 になったときに焼畑で作った畑は放棄されるんではないのかなーと…。


日本におけるイモや雑穀に根ざした祭りや田の神の信仰に稲作以前の農耕文化の面影がある、という説の部分も、うーんそれはどうだろう…という感じだった。伝統や文化がそこまで長期間残るとは信じられない。連続性の証明が不可能だからだ。神様って一度忘れられても別の時代にまた似たようなのが復活するから、むしろ似たようなのが近代になって新設されてる可能性のほうがしっくりくる。農耕の神様って世界各国どこでも蓋然的に似たような系統になるものだから、これは証拠にならないと思う。



と、細かいところは 本当にそうなの? と思うところも少なくはなかったが、全般として緻密に考察された、非常に読み応えのある内容となっていた。ここまで状況証拠を出して多角的な方向から考察されれば、物的証拠が無くても一笑に付すことは出来ない。逆に言えば、物的証拠がない仮説を真剣に唱えるには、ここまでしないといけないんだなということを考えさせられた。「証拠はないけどこう信じるんですよ!!」みたいな感じでロクに検証もしないまま推論に推論を重ねていくと、どうしても説がうすっぺらくなってしまうんだよね。



ちなみに、帯に「縄文時代における焼畑農法の存在を明らかにした名著」と書かれているが、それはウソ。明らかにはしていない。証拠がなければ証明は出来ない。著者は「確実にあった、と信じている」し、本一冊使って状況証拠を挙げているが、それだけをもって存在したと断言することは不可能だ。

この本はタイトルに「新版」とついていることから分かるように、過去に出版されたものにその後の新規発見や、仮説の変更を反映した内容となっている。そもそもこの本が出版された時点では物的証拠は何も見つかっていなかった。だから著者は、仮説を立証するため物的証拠以外で、現在の日本に残る焼畑文化とアジア圏の文化を様々に比較するなどの状況証拠を積み上げる作業を行っているのだ。

そもそも物的証拠が見つからなかった理由は、考古学者が そんなものあると思っていなかった からなのだ。あると思わなければ、目の前にあるものでも意外と見逃してしまう。この本に書かれている説が、縄文時代に焼畑農法が存在した可能性を示しことによって、学者たちが証拠を探し始めて今に繋がる。
最初にこの本が出て以降、新版として出版されるまでの間に行われた発掘調査の結果が変わっていたということだ。

つまり、「焼畑農法の存在を明らかにした」わけではなく「焼畑農法の存在が明らかになるキッカケを作った」というのが正しい表現である。せっかく新版を出すというのに、そこ分からないとダメじゃないか?(笑)
毎度ツッコみますけど、書店の人は、内容理解してから本の帯考えてほしい。

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