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zoom RSS エジプト以外のアフリカの国々はパピルスを紙にしない…

<<   作成日時 : 2014/11/03 00:10   >>

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先日のメルッハ絡みで調べようとクシュ王国についての本をあさっていたところ、輸出品目にパピルスがないのが不思議だという記述を見つけて、「あれクシュってパピルス生えてたっけ」と思ったのが発端。

クシュ王国は、エジプトが末期王朝時代に突入して国力を落としていた時期、紀元前900年くらいから、ナイル上流、エジプトより南に勃興するヌビア人の王国。パピルス紙といえばエジプトの主要輸出品、ギリシャやローマ、ローマが滅びて以降はヨーロッパ各地に大いに輸出されていたためナイル下流のデルタ地帯のイメージが強い植物ですが、あらためて原産地を調べてみるとアフリカ中部じゃないですか。つーかアフリカの広い範囲に生えてて、むしろ使いすぎて全滅させたエジプトさん以外の地域では今でも現役で使ってるじゃないですか…。

*生息地域
画像



写真とかデータとか色々あったんで詳細はこっちで。
http://www.prota4u.org/protav8.asp?p=Cyperus+papyrus

で、クシュがなぜパピルスを輸出しなかったのが不思議かというと、

・クシュ王国はナイルに沿って発展していたため川辺のパピルスはエジプト同様に利用できた
・クシュ王国は当初エジプト文化を真似ており、ヒエログリフも使っていたので筆記用に自前でパピルスを生産してもよかった

ということらしい。

ヌビア人が現地で書いたパピルス文書が見つかった話をとんと聞いたことがないので、もしかすると、ヒエログリフは借りたけどヒエラティック(紙に書く筆記体)は借りなかったんではないのかも。紙に書くという概念まではクシュに入ってこなくて、在り難い文字はとりあえず神殿の壁や石碑に書ければよかったとか。

そして輸出品として金や香木といった単価が高くて長距離輸送にも耐えやすいモノが既にあったので、破損しやすいパピルスを、あえて作る必要がなかったのかもね。紙はうっかり水に落としたら終わりだもんね…。


ヌビア以外の内陸部の事情についてヒントになりそうなのが、↓このあたりの書いてある情報。

サハラが結ぶ南北交流 (世界史リブレット)
山川出版社
私市 正年

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サハラを突き抜ける交易路に特化した本だが、アフリカ内陸部の交易路には西洋人はタッチしていない、という情報が出てくる。


まずアフリカ内陸部は基本的に、文字で書物を記録せず、歴史にしろその他の知識にしろ、すべて語り部が記憶して語り継ぐものだった。そのため筆記用のパピルス(紙)を自分たちで消費する習慣はない。エジプトは例外的に文字記録を多用したが、そのエジプトの影響を受けて成立したクシュ王国ですら根付かなかった。

パピルスは生えていても、紙にするという概念がなかったため、輸出項目に入っていないのは当然というわけだ。


さらに交易路の問題もある。
パピルスを必要としたのは書き文字での記録を主とする西洋人だったが、アフリカ内陸部は部族同士の結びつきによって作られた長い歴史を持つ交易路が既に確立されており、よそ者かつ新参の西洋人が入り込む余地はなかった。西洋人のアフリカとの交易は、海に面した都市で行うものに限られた。

従って、パピルスの自生するアフリカ内陸部と直接やりとりすることが出来ず、パピルス産地と海とが隣接しているエジプトのみがパピルス輸出の出入り口となったのだと考えることができる。

あともしかしたら、場所によっては、湿気が多くてパピルス紙は作れなかったかも。パピルスは繊維を張りあわせたあと干して完成する。エジプトは年間通して乾いているのでいくらでも干せるが、アフリカは場所によっては雨季とかあるしね。

理由はいろいろ考えられるが、パピルスの生息域は広しといえど、"パピルス紙"といえばやっぱりエジプトの象徴なんだなー、と思ってみる次第。

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