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zoom RSS インダス文明反省会! 二冊の本を相互読みしてみよう

<<   作成日時 : 2014/10/05 00:10   >>

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インダス文明に手を出してみようと思ったとき、図書館でどっち借りようか迷ったのが、前回読んだ「インダス文明の謎」と「インダスの考古学」。

インダスの考古学 (世界の考古学)
同成社
近藤 英夫

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内容的に正解に近いほうを先に読むのがよろしかろうということで「インダス文明の謎」を借りてきたのだが、「インダスの考古学」を借りなかったのにはわけがある。

ぱらぱらと捲っていたとき、こんな一文が目に入ったからだ。

都市は、単に居住空間の大型化というものではなく、それ以前の社会とは全く異なる構造をもった社会のうえに成り立つものである。


はいだうとー。
これ古いよ。これエジプト当てはまらない。古代エジプトの初期の都市は「巨大な農村」というべきもので、まさにその、単に居住空間が巨大化しただけのものだ。
都市が生産活動を行わず農村の余剰生産によって賄われるっていう定義も古くて、そこに当てはまらないパターンは沢山ある。単なる居住空間の巨大化、人が集中して住むだけでも「都市」は成立する。

この古い定義に従って考えられていたせいで、かつてエジプトは「都市なき文明」なんて呼ばれていたが、その概念ももう捨て去られていい頃だと思う。

ついでに権力者がいなくても「都市」は成立するので、都市の中に階級社会が存在することは必須じゃない。逆に階級社会とある程度の人口規模を持ちながら都市は持たなかった地域もある。

このへんは前に書いた「「文明」という言葉の定義をもうちょっと考えてみた」や「建造物から考える文明のありかた」を参照。


この、「都市」という概念の誤解に重ねて、「都市には支配者がいるはずだ」という思い込みが全体を支配している。「インダス文明の謎」のほうでは、インダス文明の各都市には王や神官といった権威を示す証拠が希薄だとしている。私もそう思う。都市を築かせたのが王や首長であるならば、なぜ彼らの邸宅なり図像なりが見つかっていないのか。

権威をいただいた文明は、ほぼ必ず、権威の象徴が最初に見つかる。壮麗な神殿なり、巨大な墳墓なり、豪奢な財宝なり、である。インダス文明ではそうしたものを聞いたことが無い。だから、「王権の証拠は希薄」=今のところ「なかった」ものとして扱うのが正解だろうと思う。

とすれば中枢都市が最初に発展し、周囲の都市が付随して作られていったというマヤ文明的な文明モデルも、そもそも間違えてるんじゃないかと。モヘンジョ・ダロ遺跡が巨大だからといって、そこが地方の中心都市だったとは言い切れない。


と、まあ細かいところで違和感を感じていたわけで、今回通して読んでみて、改めて両者で食い違うところをちょこちょこピックアップしてみる気になった。なお中の人はインダス文明暦1ヶ月ちょいくらいのペーペーなので、専門家の議論に加われるほどの知識はない。上記のように、「都市」の定義などであれば論じることが可能だが、インダス文明単体の知識になると、どちらが正しいかの判断はつかない点には、ご留意いただきたい。

ざっくり言うと、どっちかの先生に肩入れするつもりはねーけど、こんだけ言ってることが違うんだよって話が書きたいだけだよ。(ざっくり)



●インダス文明の年代

「インダス文明の謎」のほうでは、「インダスの考古学」も引きながら日本の考古学者が提示する年代を挙げた上で「近藤の年代にも(本によって)微妙にゆれがある」としている。その「インダスの考古学」では、インダス文明の栄えた年代を

 紀元前2500年〜紀元前1800年

としている。「インダス文明の謎」のほうでは

 紀元前2600年〜紀元前1900年

と、前に100年倒している。
たかが100年と思うかもしれないが、1世紀の差はけっこう大きい。


●モヘンジョ・ダロの穀倉庫

「インダス文明の謎」がきっぱりと述べているところによると、モヘンジョ・ダロの、かつて穀倉庫と呼ばれていた建物は、ウィーラーという考古学者が「メソポタミアにあるんだからインダスにもないとおかしい」と言って呼び始めた呼称なだけで、現在では否定されている。

しかし「インダスの考古学」では、「増殖は、大沐浴場に接近した穀倉庫に収められた食料に対しての儀式である」などとさらりと書いている。

どちらが正しいのか専門的な議論はそれぞれの本が引用元として提示している論文に頼るとして、常識的に考えると、湿気のある浴場の側に穀倉庫を作るアホはまずいない。実際の発掘でも穀物の粒は「穀倉庫」周辺からひとつも見つかっていないようだから、これは穀倉庫ではないという説を採ったほうがよさそうだ。
 

●ハラッパーの穀倉庫

これまた、「インダス文明の謎」では、「これを穀倉庫と呼ぶのは、いかがなものか」とバッサリ述べていて、「インダス文明遺跡には穀倉庫ありきを前提としているしか思えない」と書いている。
「インダスの考古学」ではやや控えめに、モヘンジョ・ダロの穀倉庫との構造の違いを述べたうえで、「筆者はモヘンジョ・ダロのほうを穀倉庫だと思う」、ハラッパーのものは「工房だと考えたい」と書いている。


●ガッガル川はかつて大河だったか

「インダスの考古学」では、インダス文明領域の気候が現在と過去で大幅に変化したことはない、と述べながら、ガッガル川はかつては大河だったと述べている。またその上で、ガッガル川に面したカーリーバンガン遺跡は川が干上がるとともに放棄されたとしている。

「インダス文明の謎」では、ガッガル川はもともと雨季にだけ水の流れる季節川で、地質学上、過去に大河であった証拠は見つからないとしている。これは「インダス文明の謎」を通して語られる「インダス文明は実は大河文明ではなかった」という主張とも絡んでいる。遺跡の作られている地域は必ずしも水の豊富な土地ではなく、その盛衰は気候変動とは関連しないというのである。



以上ざっと4点だが、最初に挙げた都市の定義とこの4点だけでも本の語る方向性が大幅に異なることが分かるかと思う。文明の年代、そこに王権を推定するか否か、インダス文明をオリエントの文明基準に考えるか否か、大河に与える役割の比重。インダス文明の見方は、こうも人によってズレている。これだから一冊の本、ひとりの人の言うことだけを信用するわけにはいかない。

ただ、人によって言うことがばらばらなのは、決して悪いことではない。むしろ全ての学者が判で押したように同じことしか言わなくなったら黄信号である。意見の相違は、インダス文明に対する研究が今なお発展途上にあり、日々新たな発見があるからだ。可能性に満ちた学問分野だということも出来る。

ちぅわけで第一ターン終了。次回ほかに気になったところピックアップしてみたいと思う。

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