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zoom RSS 【ファラオの呪いの作り方】 呪いの23人目の犠牲者― モハメッド・ザカリア・ゴネイム

<<   作成日時 : 2014/10/13 00:10   >>

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ちょっと前のエントリで、セケムケト王のことを書いた。

ファラオの呪い=ツタンカーメン はもう古いだろ! いつまでも同じネタで遊んでないで、いい加減あたらしいネタを作ろうぜ! っていう話の続きである。このテのネタは、過去に誰かが作った話のリバイバルでしかなく、作ればいくらでも増える。 というわけで、増やせる実例を一個作ってみようと思う。

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1959年1月10日――
その日、一人のエジプト人考古学者が、ナイル川で謎の死を遂げた。死因は水死。だがその死は、いまだもって原因不明の謎とされている。そしてまことしやかに囁かれる噂がある。

彼こそは、カーナーヴォン卿から続く「ファラオの呪い」の23人目の犠牲者なのだ、と。



彼の物語は、1951年まで遡る。
その年、彼はそれまで勤めたルクソールでの仕事から、上エジプトと下エジプトの交わるあたりに位置するサッカラへと職場を変えた。サッカラ周辺には多くの遺跡があり、第五王朝のウナス王のピラミッドや、ジェセル王の階段ピラミッドも近隣にある。

ゴネイムが発掘場所に選んだのはジェセル王のピラミッドの北側にある空白で、そこに未知のピラミッドがあると睨んだのだ。

果たして読みは正しく、翌年1952年には遺構を発見する。それは開封された跡のない、未知のピラミッドであった。建造者は、それまで知られていなかったセケムケトという名の王。ジェセル王の次の代と考えられている。ピラミッドの入り口は厳重に封をされ、内部通路からは多数の黄金の腕輪も見つかった。それは、ツタンカーメンいらいの未開封の王の墓発見を思わせる兆しだった。

だが、不幸は静かに忍び寄っていた。そしてまた、墓に秘められた災いも、静かに彼を蝕み始めていたのである。
発掘の最中、突然の事故が襲う。詰め物で塞がれた坑道を清掃中、突然足場が崩れ、下の回廊に作業員が落下。二人が怪我を負い、一人が即死したのである。人々は恐れのあまり遺跡から逃げ去り、二週間にわたって作業が中断される。彼らを説得してなんとか作業を再開したのは、二週間後のことであった。

ゴネイムはこう記している。「このピラミッドは、ピラミッドが建てられた当時の王の人格を有しているように感じる―― そして王は、今なおピラミッドの中を彷徨っているのだ」  と。

やがて、ピラミッドの中心部、頂点のくるちょうど真下になる部分に、王の棺が見つかる。
それは未開封で、棺の上には、埋葬の時に置かれたと思われる炭化した花輪が載せられたままになっていた。その中に、未知のファラオのミイラが眠っている! 発掘隊の興奮は、いかばかりだっただろう。彼らは運命がいかに残酷な結末を用意しているかを、まだ知らない。

1954年 6月27日。
その日、人々の期待をこめ、この未開封の棺は500ポンドの重たい蓋をゆっくりとこじ開けられた。

だが、棺の中は空。埋葬された痕跡すらなく、静かな闇と、ただの降り積もった埃だけが無言にゴネイムを迎えていた。


失意のゴネイムだったが、翌1955年までピラミッド内部の残りの部分の発掘を続け、最後のシーズンを終えた。
そして1956年に、ピラミッド発見からシーズン終了までの4年間の記録を一冊の本にまとめて出版する。それは彼の栄光と挫折の物語でもあった。



ナイル川での謎の死は、それからわずか3年後の1959年1月10日。
死の前日には、発掘の友でもあった旧知の作業監督、イブラヒムを迎え、もてなしとともに消えた王の遺体について話し合っていたという。その直後、彼は年が明けて間もない寒いナイルの川辺にたった一人ボートを漕ぎ出し、そのまま帰らぬ人となった。考古学者としてのキャリアの頂点にあったはずの彼に、一体何がそうさせたのかは、誰にも分からない。あるいは、ピラミッドを彷徨えるセケムケト王の霊が、彼を必要としたのか。

ゴネイムの死の真相は、未開封の棺の中から消えたファラオとともに、今もまだ、謎の中にある。



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ここで知ってもらいたいのは、故意に偽らなくても、全体像の一部をトリミングするだけで現実の見え方は大きく変わるという事実である。

かつて、ツタンカーメンに纏わる「ファラオの呪い」を作り出した人々がいた。同じように、別の事象に対しても、呪いやミステリーを作り出したいと思う人がいれば、それは可能だ。必要なのは「ファラオの呪いなどない」という「思い込み」ではない。なぜ、「ない」と思うのか。

テレビがそういうから、本に書いてあったら、という理由は全くもってお話にならない。
その理由しかないのであれば、テレビが「呪いはある」といい始めれば、そちらに流れるだけだからだ。私はまさに、そういう思考停止の状況が気に入らない。

答えが合ってればいいんじゃない。答えにたどり着くまでの思考が在るか無いかだ。自分で何も考えずに「呪いはない」と言っている人よりは、自分で考えたすえに「やっぱり呪いはあるんじゃないかな」と言ってる人のほうが百倍マシ。

よってここに、新たな「ファラオの呪い」の種を撒く。いつかこの種が成長し、多くの人を惑わし、考えさせてくれればいいなと思っている。

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