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zoom RSS 「四大文明」改め「六大文明」、ってのもおかしいよね って話

<<   作成日時 : 2014/10/12 00:10   >>

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ちょい前に紹介した「古代マヤ 石器の都市文明」という本。

この本自体はいいんだけど、この本が気に入ったからといって、同じ著者のほかの本を手に取ることはオススメできない。 どの本読んでも内容が9割同じ という引き出しの少ない残念な人だからだ・・・。

そして新しく出た本だと、過去の自著でプッシュしてた説がさらっと書き換えられていたりするんだけど(例: 星の戦争についての記述)、「書き換えました。」の注意書きなし。まあそんなわけなので、一番新しいの読んどけば後は特にいいかなーってかんじ。

で、この方の本の中でくりかえし述べられる内容で、「これだけは違うだろ。」というのが一つ。表題の「六大文明」という概念だ。
著者はどうも中南米の文明LOVEらしく、「旧大陸にだけ優れた文明があったわけじゃない、中米と南米も同等なので二つ足して六大文明というべきだ。」と主張している。しかし後述するように、中南米の文明が旧大陸の文明と並ぶか否かはともかく、「六大」という数字を持ってくることには何の意味もない。


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四大文明という概念が、近代に作られたもので、極東の一部地域でしか通用しない概念だという話は、前にもちょろっと書いた

そもそも「文明」という言葉の定義自体、現在は曖昧だ。いわんや「大文明」をや、そもそも「四大文明」の一つに数えられているインダス文明自体、かつて言われていた「文明」の定義に当てはまらない。「大文明」という存在が明確に定義できないものなのだがら、四大文明という概念にも実体はない。

よって「四大文明」どころか、「大文明」という概念を使うこと自体が適切ではなく、四だろうが六だろうが、マスターキートンに出てくる二十以上だろうが、数で数えることに意味はない。


「他からの影響を受けずに成立した」という意味で使われている、一次文明という言葉にも違和感を感じる。
他所の文化からの影響を全く受けない地域は存在しない。北極のような僻地にすら、系統の異なるいくつかの人の流れが存在する。そもそも文化自体、人の流れの交わるところに発生する。他の文化と全く触れ合わない稀なる辺境には、文化は育たない。(「無」ではないが、成長しない。) 

私は、文明自体、人と人、異文化と異文化の出会いを前提として存在すると思っている。そしてすべての文化は、ホモ・サピエンスの血と同じく、辿っていけば最後には出アフリカ時点のご先祖様に行き着くはずだとも。無から有は生まれない。何も下地のないところに育つ文明は存在しない。

中南米の場合、旧大陸からの人の流れは一つではなく、何度かに渡って移住した集団が交じり合って文明を形成している。具体例を挙げるなら、クローヴィス人が中南米を通過したあと、異なる石器様式を持つ別の集団が上書きするように住み着いているのではないのか。

「文化」が「文明」になった時点を指して「文明に進化するのに他の文明の影響を受けなかった」ということだとしても、それがどうして誇らしいことなのか全く分からない。それは「だれにも教わらなかったけど、絵の描き方は知っています」というのと同じことだ。

絵でいうなら、教わったか教わっていないかはどうでもよく、そこから自分独自のスタイルに昇華できるかが重要だ。文明における他からの影響も同じことで、他からの影響があったかどうかはどうでもいい。時代的に早く成立するか、まわりに同等の文明がなければ影響は受けないが、時代的に遅れて成立するか、周りに他の文明があれば当然影響は受ける。だが、遅れて成立したからといって、他からの影響を受けたからといって、その文明が劣っていることにならないのは当然だ。



ちぅわけで、「四大文明」という概念は誤っている、という点は同意するが、「だから六大にしよう」という発想は方向違いだと思っている。文明を数で数えることに意味はない。文明の上位として「大文明」を設定することも有効ではない。文明に優劣をつけようとする発想そのものを否定したい。

異論がある人は、まず「文明」を定義した上で、「大文明」とは何かを説明できるよう用意してから来てください。(笑)

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