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zoom RSS 太平洋を渡った人々 ラピタ人の考古学

<<   作成日時 : 2014/09/21 00:10   >>

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図書館で適当に本をあさっていたらたまたまみっけたこれ。
「ラピタ人」という言葉と概要は知っていたけど、日本語でまともな概説書が出ていると思ってなかったので、ちょっとびっくりした。てなわけで早速確保してきて読んでみた。

ラピタ人の考古学
溪水社
石村 智

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・ラピタ人とは

今のミクロネシア、ポリネシア、メラネシアあたりの太平洋群島(オセアニア地域)に住む人々の祖先。
広い範囲に散らばっているにも関わらずオセアニア地域に住む人々の言語には共通性がみられること、群島に点在する古い遺跡から出てくる土器や石器の形式から同一民族が広がっていった可能性が高いことから推定されている。

ニューギニア島には既に人が住んでいたため、ラピタ人はリモート・オセアニアと呼ばれるライン、ニューギニアの東端あたりから、イースター島にかけての太平洋上の島々に拡散していったようだ。

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ラピタ人の特徴として、土器を使用していたことが挙げられる。これは現在のオセアニア地域では用いられないもので、島々への移住後しばらくして失われてしまった文化だと考えられる。土器をはじめとするもとの文化の消滅をもってラピタ人の絶滅と看做すことは妥当ではない。それぞれの移住先に適応した結果、土器の使用が放棄されていったのだと思う。

後述するようにラピタ人は元はアジアのいずれかの地域に住んでいたモンゴロイドの一派で、土器は大陸周辺部に暮らしていたときに使っていたものだった。土器を焼くためには大量の燃料を消費するため、限られた資源しかない島での暮らしにはそれは適応しなかったのかもしれない。


なお、ラピタという名称は、代表遺跡フエ(Foué)を現地語で呼んだ「Xapetaa(カペタ)」=掘られた場所 を、研究者が地名と勘違いして生まれたものではないかと言われている。本当ならカンガルーなみの勘違い命名であるが、「ラピタ」という言葉にある神秘的な響きがその後の"謎の海洋民族ラピタ"のイメージに繋がっているかと思うと、面白いものである。

このエピソードからも判るように、ラピタとは最初に移住していった一群の人々を指す便宜上の言葉で、彼ら自身が何と名乗っていたかは不明。またラピタという地名も存在しない。ただ歴史上の一点において、島々を渡り歩いていった集団がいたことだけは確実だとされる。

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ラピタ人の起源にはいくつか説があるが、台湾もしくは東南アジアの島嶼部ではないかと言われている。これは、オセアニアに広がる類似言語の発達過程が主な根拠となっている。

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現在台湾に住んでいる人たちの多くは中国大陸から渡ってきた華人の子孫なので、ここで台湾起源と言われている「台湾」は、台湾先住民のことだ。ちなみに本の中に出てくる「フォルモサ語」=台湾語のフォルモサは、大航海時代にやってきたオランダ島が台湾島をイル・フォルモサ(美しい島)と呼んだことに由来する。図にあるように、オーストロネシア語圏は、イースター島まで広がっている。まさに「海洋民族」であり、太平洋は彼らの独断場だったのだ。人類最後のフロンティア、太平洋の島々を征服したのがラピタ人だった。


人類の歴史は、移動の歴史でもある。
オーストラリア大陸を出て南米大陸の先端まで到達する陸路の人類の旅は、「グレートジャーニー」とも呼ばれる。イースター島を終点とするラピタ人の海路での拡散は、もう一つの、海の「グレートジャーニー」でもある。

まあまだ判っていることは少ないようなのだが、土器の編年分析などは大陸の遺跡と同じ。ラピタ人が移住していた時期は小氷河期で海水面が現在より低かったため、遺跡は島の内陸部に多いようだ。

文字記録などはない。遺跡は日本でいう縄文時代によく似た感じで、土器、貝塚、わずかな工芸品と、ごく稀に見つかる人骨などから拡散時代の文化が考察されている。


面白いなと思ったのは、ラピタ人がなぜ猛烈な勢いで外洋へ、新たな島々へ旅立っていったのかというところだ。

ラピタ人は、一つの島に落ち着いて人口を増やすということをせず、次から次へと島を渡り歩いている。これを、この本ではキリギリス的な性格を持つ「r戦略」として説明している。すなわち、生産に手間をかけず、手近な資源を片っ端から利用して人口を爆発的に増やすという適応戦略だ。これは資源の乱獲に結びつき、魚や貝、あるいは森などを短期間で破壊してしまう。しかし行く手に新たな島がある限り、これは問題にはならない。資源を使い尽くせば、また新たな次の島を探せばいいだけなのだ。

この戦略によって、ラピタ人は短期間に太平洋の島々を踏破していった。実際、残された遺跡からは狩猟採集メインで、しかもハイリスクハイリターンな遠洋には出ずに珊瑚礁内の内海をメインに海洋資源を利用していた痕跡が読み取れるという。

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そして最後に行き着いた先が、太平洋の果てなるイースター島。
そこから先は、はるか南米大陸まで島は一切ない。

イースター島にたどり着いた人々も、もちろんラピタ人に連なるその子孫たちだ。イースター島の住民が島の資源を一気に使い尽くしたのは、モアイ像づくりに熱中していたからだけではなく、それが、そこまでの旅路で彼らが選択していた、当たり前の「適応戦略」だったからではないのか。それまでは、一箇所で資源を乱獲しつくしても、次の島に移動すればいいだけだったのだ。先が見えて初めて、彼らは別の戦略をとらなければ生き残れないことに気づく。そして農耕による食料確保の道を歩みはじめるのだ。

メソポタミアやエジプトの文明が前提にあると、狩猟採集、しかも資源を乱獲するような文明のあり方は、どうにも稚拙に思えてしまうのだが、農耕に手間がかかることも、狩猟採集に比べて非効率的であることも事実である。素早く数を増やし、一気に一つの地域を自分たちの部族で制圧したい場合には、ラピタ人の選んだ道は確かに妥当だ。現に、ラピタ人たちはオセアニアという太平洋の広い地域を手に入れ、島々はその子孫たちの独断場として続いている。

生存のための戦略は場合によって異なり、文明のあり方も一つではない。
改めて、そう思うことのできた本だった。

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