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zoom RSS エジプト三大女王といえば…女スルタン シャジャル・アッドゥッル

<<   作成日時 : 2014/08/02 00:10   >>

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こないだ行ったエジプト展、「女王と女神」。
そこで思い出したのがエジプト三大女王というネタだった。

一人は、今回のエジプト展でもプッシュされていたハトシェプスト女王。
もう一人は、古代エジプト王朝の最後の女王クレオパトラ7世。

あと一人は? と言われたら、この人しかいないと思うんだ。世界唯一、女性でしかも奴隷出身でありながら、自らスルタンとなったシャジャル・アッドゥッル。(Shajar al-Durr) マムルーク朝の創始者である。

彼女は類稀な美女で、しかも聡明であったと伝えられている。
名前は「真珠の樹」を意味する。バクダッドのカリフがエジプトのスルタンに贈った自らの奴隷の一人で、その美貌からスルタン・サーリフの寵愛を受け、妃となる。その後、皇太子不在の間にスルタンが亡くなったのをうけ、実権を握ってしまったのだ。ここまではよくある話だが、その後、自分の子供をスルタンとして即位させるのかと思いきや、なんと自分が即位してしまった。(最初に生まれた息子ハリールは生まれて3ヶ月で死亡しているようなので、ほかに子供がいなかったのかもしれない…詳しい資料がないので未確認。)

当時のエジプトは、フランス王ルイ率いる第七次十字軍による攻撃にさらされていた時期である。しかもスルタンが亡くなったのは、十字軍が上陸し、ダミエッタを占領後、カイロとの中間にあるマンスールに向けて進軍していたちょうどその時だった。元々病気がち、しかもスルタンは既に高齢であった。緊張とストレスで、体が負担に耐えられなかったのだろう。スルタンが死んだことが知られれば、軍が乱れ、カイロが落とされてしまうかもしれない。

そこでシャジャルは、スルタンの死を伏せてあたかも夫が生きているかのようにふるまうという策に出た。夫の字をまねて書簡にサインし、指示なども出していたという。ただ、人の口に戸は立てられない。十字軍側には、スルタンが死んだことは早々にバレていたという。ダミエッタを守っていた将軍は早々に逃げてしまい、マンスールが落ちればカイロは目の前。しかも未だ皇太子トゥラン・シャーは遠いシリアにいる。絶体絶命だ。

だが、首都カイロは落ちなかった。
運命のマンスール決戦は、奴隷出身のマムルーク兵たちによって大勝利に終わる。この戦いでは十字軍側の騎士たちの多くが殺され、フランス国王ルイの弟も死亡している。
スルタンなしに敵を追い払ったのだ。しかも、軍を率いていたルイほか主要な騎士たちを捕虜にしてカイロまで連行する大勝利である。
十字軍撃退の成功は、マムルークたちに自信を与えたのかもしれない。その後、シャジャルのもとでマムルーク朝が開始される。1250年のことだった。

この女性について思うとき、彼女はなぜ一時でもスルタンとなれたのか? ということを考えてしまう。スルタンの寵愛を得て妃までのし上がったとはいえ、元奴隷、しかも女である。スルタンの死が早々にバレていたことからしても、国の危機を救ったエピソードだけでは彼女が即位できた理由は不十分だ。

彼女が最高位になれたからには、聡明で、もともと政治にかなりの影響力を持っていたと考えるのが妥当だと思う。軍の、同じ奴隷出身の兵士たちの強い支持もあったのだろう。そして、あっさりダミエッタを見捨てて逃げたエジプト軍とは違い、マンスールを守っていたマムルークたちの、「なんとしても勝って生き残らねばならない」「生き残るためにはどんな手段を使っても構わない」という思い切った覚悟が、かつての主人を裏切ってシャジャルとともに下克上に手を染めるという方向に通じていったのかもしれない。

その後、やはり女性がスルタンでは統治に具合が悪かったのか、シャジャルは三ヶ月ほどでスルタンの位を降り、アイバクという男をスルタンにたて、自らはその妃の地位におさまった。だが、その7年後、アイバクはシャジャルにことわりをいれず、政略結婚で第二王妃を迎えることを決めてしまう。自身の妃としての地位が危ぶまれたためか、夫が自分より若い女にとられると思った嫉妬だったのか。彼女は、部下とともに入浴中のアイバクを殺害してしまう。

アイバクはシャジャルがスルタン位につけてやったようなものである。あるいは、彼女の傀儡であったかもしれない。だが、たとえそうであってもスルタン殺しは大罪だ。シャジャルはリンチで殺され、死体は裸のまま犬に食わされたという。1257年のことであった。


彼女が生前に作られたという墓は、荒れ果ててはいるが、今でも残っているという。

>>写真
http://www.historyandwomen.com/2012/08/women-who-ruled-shajar-al-durr-of-egypt.html

王位にあったのは、たった三ヶ月。しかしそれでも彼女は、堂々たる"女王"であった。

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