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zoom RSS 古代エジプトにおける墳墓の再利用について

<<   作成日時 : 2014/05/28 00:10   >>

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こないだのコンスエムハブ墓の講座で「コンスエムハブの息子は他人の墓を流用してるので、コンスエムハブ自身も流用をやってるかもしれない」という話が出てきていた件で思い出したので、なんかまとめてみる。


話を聞きながら最近どっかで読んだなーと思っていたけど、たぶんこの本。

(031)古代エジプトの埋葬習慣 (ポプラ新書)
ポプラ社
和田 浩一郎

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最近出た本なので手に入りやすいので、古代エジプトの埋葬習慣について一通り知りたい人はこれでいいと思う。ミイラ写真も入っていないので ミイラは一箇所だけなので、グロ画像がだめな人でも問題ない。ちなみに墓の再利用については、第四章にそのものズバリ「墓の再利用」というセクションがあるのでそこを確認されたし。


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墓の再利用は、悪いことだと考えられていたようだ。

たとえば、第十王朝の「メリカラー王の訓戒」には「他人の記念碑を利用して自らの墓を築いてはならない」という戒めの言葉が書かれており、その時代に王家の人間による墓の転用が既に存在し得たことを表している。

墓そのものの再利用が確定している例はそんなに多くないが、副葬品の転用の実例には事欠かない。新王国時代の王たちの副葬品ですら転用物が多く、かの有名なツタンカーメンの副葬品にも、家族のものの再利用がいくつか混じっており、所有者の名前を書き換えたあとがある。


墓の再利用は悪いとされていたのに、なぜ行われたのかについては諸説あるが、主要な説を挙げると、以下のようなものがある。

@墓をつくるスペースが足りなくなったから
A無縁仏の墓の転用は合法だったから
B墓を作る費用が高かったから


まずは、このうち@について。墓をつくるスペース。


そもそも、古代エジプトでミイラになった人間はどのくらいいるのか。

墓を作るからには自分はミイラにならなければならない。墓の中に生の死体を入れることは在り得ない。それは日本において、墓石を立てたのに火葬しないのが在り得ないのと同じことだ。

これについては、以前調べた。
http://55096962.at.webry.info/201003/article_26.html

今のところの答えは「1億5千万人」である。
ちなみに、これは王朝時代だけの数で、ローマ支配の時代まで入れると「5億人」という数が提示されている。(「ミイラ考古学入門」より) 100人ずつ1つの墓に入れるとしても500万の墓地が必要という計算になり、そりゃあなた、墓の再利用でもしないことには墓地が足りませんよって話。

ミイラ作りは初期王朝の紀元前3000年らいには既に試みられており、キリスト教が浸透する紀元後5世紀くらいには終焉を迎える。この間ざっと3500年。もちろん、ミイラは一律で作り続けられていたわけではない。最初は王や一部の王族のみ、そのうち貴族や神官たちも倣い始め、プトレマイオス朝のころには庶民たちも…、ローマ支配の時代ごろには、よほど貧しい人でない限り「とりあえずは一夜干しでもミイラ処理を」という状態でほぼ全員がミイラにされ、ためにこんな数になってしまったのだろうと思う。

ちなみに庶民のミイラの墓地は共同墓地ですし詰め状態になっていることが多いようで、「砂漠で穴に落っこちたら中は何百体ものミイラでギッシリ」なんていうホラーな話もたまにあったりする。



なので、「墓の再利用」には、手間を省く、墓に費用をかけない、という目的のほかに「墓に使える土地が限られていてどうにもならない」という切実な問題もあったのだと思う。

かつての、ダムでせき止められる以前のナイル河は、上流が雨季に入ってしばらく経つと、流れが増して氾濫する大河だった。川の近くは氾濫原になってしまうので墓は作れない。川から離れた場所に作るしかないが、砂漠のド真ん中というわけにもいかない。しかもエジプト人は宗教上、日の沈む方角である西に墓を作るのが一般的だったから、人の住む範囲で川から一定の距離を置いたナイル西岸という限られた場所が墓として選ばれることになった。

「新たに墓をつくる場所が足りない」という問題は、おそらく新王国時代には既に始まっていた。
王家の谷と呼ばれているテーベ西岸の王族の墓地に行って、谷を見回すと、そこかしこ墓の入り口だらけでヴァー(´A`)ってなる。掘りすぎ。なんか怖い。そして実際、掘ってる最中に地下で他の墓にぶつかって掘削が中止されたまま放棄されている穴もいくつかある。

後世になるほど墓の再利用が増えていくのは、倫理観の崩壊や宗教観の変化も考えられるが、墓を作る場所がもうないという切実な理由もあったのかもしれない。



つづいて、これに関連するのがAだ。

古代エジプトの墓は、中にミイラを収めてハイ終わりではなく、葬祭施設があって定期的にお参りにいくようになっていた。お盆にお墓にまんじゅうを供えにいくような感じで、死者のための供物を持っていっていたらしい。
だが墓主が亡くなってから何世代も経つと、故人との係わり合いも薄くなる。祖父くらいならともかく曽祖父の墓参りといわれてもピンと来ない。

というわけで、無縁仏、または何世代も経ってしまった家族の墓などは、再利用しても誰かから文句がくる可能性は低かったのではないかと思う。

現代の日本でも、お寺さんは限られた敷地に墓を作るため、家系の途絶えた墓は無縁仏として隅っこにまとめていたりする。そんな感じで古代エジプトの墓も、祀る人がいるかどうか墓のたな卸しをして、定期的に再分配するようなシステム、または慣習があった可能性があるのではなかろうか。

もしそうだとすれば、あまり罪悪感を感じることなく墓を転用することは出来たと思う。




Bは、庶民が墓を作りたい場合に、土地を買ったり内装を施したりするのに多額の資産が必要という、現代と同じ理由からである。既に穴が掘られていて、ある程度の内装までされているなら、それを再利用するほうがはるかに楽だ。

もし違法だったとしても、お役人に袖の下を握らせてなんとかなったかもしれない。袖の下の額が墓を新規で作るより安いなら、残るは自分の罪悪感や世間体という問題だけになる。





いずれの理由も考えられるし、どれもあり得たと思う。

ただ、どれほどの墓が転用されたのか、正確な数を知ることは難しい。さすがに近藤先生の「九割再利用」ってのは多すぎると思う…。部屋数や構造の違う墓は使いづらかっただろうし。

それと自分が思うのは、中身が入っている状態からの転用はあまりなかったのではないか、ということだ。つまり、盗掘を受けていったん開かれてしまった墓を転用することはあっても、閉ざされている無傷の墓を敢えて開いて転用することはなかったのではないかと。

これは理由でいうところのAに該当する。祀る人がいて定期的にお参りされている墓なら、荒らされても元に戻される。聖域として管理されていない墓はただの洞窟なので、再利用してもさほど罪悪感は感じない気がする。

ただ、別人の似姿を、名前書き換えただけで再利用する感覚は良く分からないな…。
いくらエジプトの壁画や彫像が決まったプロポーションで個性なんて無いにしろ、他人の「姿」を借りるのは、ちょっと。墓を再利用するなら人物の部分だけは書き換えるかなあ自分なら。


まー当方、墓や仏具の再利用する予定は今のところないんですけどね。

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