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zoom RSS 忘却のヒッタイト〜ギリシャ・ローマの記録に何でヒッタイトが出てこないのかが分からない。

<<   作成日時 : 2014/02/20 00:10   >>

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「ヒッタイト帝国」は、今でこそよく知られているが、実は19世紀半ばまで存在すら知られてなくて、20世紀に入ってようやく「存在することが確定」したという文明だったりする。

…というのを知ったのがトルコに行く前にちょこちょこ調べていた二年くらい前のことで。


知らないことが多いので学習を始めることにした。「アナトリア歴史紀行」
http://55096962.at.webry.info/201209/article_16.html
  ↓
考古学と世界大戦 ドイツ人考古学者ヴィンクラーがヒッタイトを「発見」出来たわけ
http://55096962.at.webry.info/201209/article_32.html
  ↓
果てしなき旅路 そして「黒い山」へ
http://55096962.at.webry.info/201209/article_28.html


そこからさらに辿っていくうちに、何やら疑問を覚えてまいりました。

そもそもヒッタイトの存在が忘れられてしまったのは何でなのか?

「ギリシャ・ローマの史料が沈黙していたからだ」とある歴史家は言う。
そこがそもそも分からない。

ギリシャって…

画像


すぐそこだよね…?


この場合の「ギリシャ」とはギリシャ共和国のことではなく、現在はトルコ共和国領土になっている「イオニア」地方のことだ。ヘロドトスやタレスなどを輩出し、哲学・芸術などの中心地として大いに栄えた。

イオニアにギリシャ人が移住してきたのは紀元前1000年頃とされている。ヒッタイト語が話されなくなったと推定されるのが紀元前7世紀頃。紀元前10世紀頃なら楔形文字の石碑などもバリバリ作られていた頃で、双方の小アジアでの活動時期は一致する。接触は必ずあったはずだ。

なのになぜ、「ギリシャの記録が沈黙している」とまで言われるのか。
ヒッタイトについて言及したギリシャ語のイオニアの都市で書かれた書物でヒッタイトに言及してる部分は綺麗に消えちゃったんだろうか…?

何しろヒッタイトの遺跡は、ボガズキョイもそうだが、土の上にでんと抜身で立っていて、近所の人はそこに何かあるのを昔から普通に知っていたんである。うちの田舎でも畑の中に古墳があるのを近所の人はみんな知ってて、子供の頃は土器でも出ないかと掘り返してみたりもしたもんだが、そういうノリだ。

少なくとも、カッパドキアにたくさんいたギリシャ人は、ご近所のボガズキョイは知ってたと思うんだよ。
いくらアクセスしづらい僻地ったって、近所なんだし…。

<仮説1>
・ヒッタイトという名前以外で書いていたので、今も文献のどこかに埋もれている。
・ヒッタイトという名前が伝わっておらず、「昔このへんに帝国があったらしいよー」くらいしか知らなかった

<仮説2>
・相手がバルバロイなので敢えて名前を書き残さなかった。もしくは書いた回数が少なくて残らなかった。

<仮説3>
・別の国や文化と混同して書いてる。
・ヒッタイトの全盛期が短かったので、ご近所での知名度は意外に低かった。


いろいろ考えてみたけど、どれも釈然としない。

と、いうわけでヒッタイトが二千年以上も忘却の彼方にあった理由に納得できないんだ。
単にその時代の文献がほとんど残っていないだけかもしれないけど・・・。

まあエジプトのアブ・シンベル神殿みたいなデッカイものですら、数千年後には埋もれて完全に忘れ去られるものなので、時の流れとはそういうものなのかも。なんか理由思いついたら今度書いてみる。

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