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zoom RSS ジャンヌ・ダルクの神話 …作られた像と歴史の中の

<<   作成日時 : 2013/11/26 00:10   >>

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何年か前、「ジャンヌ・ダルクの遺骨とされていたものが、実はエジプトのミイラだった」というニュースが流れた。

異端者、魔女として処刑されたジャンヌの遺骸は、死後に神聖視されることを怖れて川に散らされたと伝えられる。当時、処刑に立ち会った人々は現場を目撃していたはずだし、歴史資料もそう書かれている、にもかかわらず、ニセモノの遺骸を仕立てあげ、それを信用する人がいるというところに驚いた。人は自分の信じたいものを信じようとする。これは、ジャンヌ生存説を信じようとした人々と同じく、遺骸は捨てられてなどいなかったと信じたかった人々がいたという証明なのだろう。



フランスはともかく、遠く離れた日本でも、ジャンヌ・ダルクは有名にして人気の”英雄”だ。

某F●t●のダンナほどじゃないにせよ、ジャンヌに心酔しきって資料を集めて悦に入っている人は西洋の歴史マニア界隈で結構見かける。まあね聖処女で悲劇の英雄とか設定は心くすぐるよね。ただ、美人だったかどうかは、どこにも書かれていないからわからないんだ…。甲冑着て馬に乗れたんだがら、ぶっちゃけ、けっこうガタイいい子だったんじゃないかと思うんだけどね。

…とか、理想のジャンヌ像を崩すようなことを言うと叱られるのが世の常で、それはフランスでも同じことらしい。
反骨精神旺盛なフランス人のこと、ジャンヌは処女ではなかった、という説や、神の啓示を受けたというのは嘘っぱちで、シャルル王太子にヤル気を出させるために周囲が仕込んだ訳者だったという説などがあり、テレビで討論番組もあったとか。



実はフランスでも、ジャンヌ・ダルクに人気が出たのは、そう昔のことではなかったらしい。

オルレアンでは昔から人気だったが、フランス全体で「救国の主」として盛んに取り上げられるようになったのは、ナポレオンが絶賛した19世紀初頭からだというから、なるほどナショナリズムの時代の落とし子である。

何しろジャンヌが生きていた時代には、「フランス」なる国はまだ無かった。
イギリス国王がフランスを統治していたのだって、家系図を見ればその資格があるのだから不思議ではない。百年戦争はイギリスvsフランスの戦いというより、フランス王家の親族間での相続争いみたいなもんだと思う。
ジャンヌが救ったのは「祖国フランス」ではなかった。親族の争いの中での一派に過ぎなかったとも言える。


それでも今や、ジャンヌは「祖国のフランスを救った」英雄なのだ。
たとえそれが、近代になって新しく作られたジャンヌ像だったとしても、である。

エディト・トマは19世紀のジャンヌ研究書の多様さを数え上げた上で、以下のように述べている。


これらの多くの著者たちはそれぞれに、存在するはずのないジャンヌの墓に墓石をたてて、それぞれがジャンヌを自己の陣営にひきよせ、自らの主張の象徴としてきた。国王はジャンヌを見捨てたのに、その国王につながる王党派も。少女を処刑したのは教会だというのにカトリック派も。少女は教皇に帰依していたというのに反教権主義社も。そして、ジャンヌの時代にはまだ祖国なるものは存在していなかったのに、国粋主義者も。


これは、けだし名言だと思った。
あらゆる派閥の人たちに都合よく賞賛される存在、それが近代に復刻されたジャンヌ・ダルク像なのだろう。

何なら「少女は日本などという国は知らなかったのに、日本の若者たちも」とか、「少女はシャルル以外に仕えたことかなかったのに、聖杯戦争参加者も」とかも付け足していい。(笑)



ところで、ジャンヌ・ダルクについての物的証拠は残っていないから、文献記録に頼ってジャンヌ像を想像するしかない。しかし文献というやつはとても曖昧で、あまり信用できない。

ジャンヌ・ダルクにまつわる論争を幾つか読んでいて思うのは、文献学社は文字に固執しすぎだよなぁ、という感想。

以前紹介した「時の娘」という小説の中で主人公が嘆いていた、「歴史学者は人の心を理解しようとしない」という言葉すらも思い出す。書かれていなくても、人の行動の裏には必ず当たり前の人間心理がある。

15世紀当時の社会では、破門されることは社会から抹殺されること、孤立させられることを意味する。ジャンヌが破門され火刑に処されたというのなら、その家族は破門者の身内として肩身の狭い思いをし、迷惑も被っているはずなのだ。

家族にとって、家出娘のジャンヌは迷惑な存在であり、関わりあいになりたくなかったのではないか。
場合によっては、ジャンヌのせいで、兄や弟は結婚も出来なかったかもしれない。
ジャンヌ復権裁判にだけ家族の姿が登場するのは、家出娘の破門が解かれることで家族がようやく平穏に暮らせるようになるからではないのか。家族がジャンヌに冷たいんじゃなく、ジャンヌが家族を犠牲にした結果の帰結だと思う。わりとすぐ思いつきそうな当たり前の人間心理なのだが、文献に書かれていないと理解できないのが文字だけを追う歴史学者の常らしい。

「書かれていないことを空想するな」というルールでもあるのだろうか。
空想するのは小説家の領域だから、と切り捨ててしまっているのだろうか…。
いやー、わりとそういう「人間として当たり前」なところに答えは転がってると思うんだけどなあ。農家の娘に過ぎなかったジャンヌが王太子シャルルに会いに行けた理由とかも、深読みしなくてもすごい簡単な(人間的な)答えがあるような気がするんだよなー。

文献を探して、そこから真実を拾い上げるのが文献学者なので当たり前ではあるのだが、昔の人が虚偽を語らなかったとは誰も証明出来ないし、記録に残されていない事実も多数あるだろう。
なんか、限られた文献を前にして、その解釈や取捨選択であーだこーだ言ってるの見てると、「めんどくせ。ジャンヌ若かったんだし、中二病ちょっとこじらせた向こう見ずな家出娘ってことでもういいよ」って言いたくなる私はたぶん文献研究とか向いてないな…。



歴史の中には、ジャンヌになりそこねた人々がたくさんいる。少年十字軍のエティエンヌとかもそう。
運良くオルレアンが開放されたから、ジャンヌは英雄になれた。運悪く聖地に行けなかったから、エティエンヌは道化になってしまった。

たぶんジャンヌも、火刑で悲劇的に死んだから人気が出たんであって、そのまま生き延びて齢を重ねていたら、いろいろボロが出て、後世からは敬遠される存在になっていたかもしれない。

そんなことを思った。

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