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zoom RSS 大アジア主義と、汎ムスリム主義と。「イブラヒム、日本への旅」

<<   作成日時 : 2013/09/25 00:10   >>

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なんとなーく買ってきた本。なんとなーく読んでみて、なんとなーく感じたこととかをメモしておく。



この本に出てくるイブラヒムという人のことは知らなかった。
だが、途中に出てくる「山岡光太郎」のことは知っている。日本人でありながらムスリムとなった、もしかしたら史上最初かもしれない人物。イブラヒムに教えを受け、本物のムスリムになろうと勉強してメッカにも行った人物。
メッカの礼拝は、信徒以外は目にすることが出来ない。それを直接目にして記録を残した日本人は、今まで、たぶん数えるほどしかいないだろう。その一人が山岡光太郎だ。
とはいえ、この本で彼に触れられているのは僅かな部分でしかない。


イブラヒムは、ロシア生まれのムスリム(イスラム教徒)で、タタール人だという。
ロシア領内にはトルコ系の民族も住んでいて、イスラムの教えを守っていたが、ロシアに不当に支配されていることがイブラヒムには我慢できなかったようだ。若いころからあちこちをめぐり、ムスリムの目覚めと独立を目指して活動し続けたイブラヒムは、当然のごとくロシア当局からは危険視された。

そのイブラヒムが日本を目指したのは、ロシア国内の仏教徒が、ムスリム同様にキリスト教への改宗を迫られていて、仏教国である日本が支援してくれるかどうかを確かめてほしいと代表者に頼まれたかららしい。
当時、日本はイスラム教についてもロシアについてもあまり良く知らず、イブラヒムも、日本については「芸者と人力車くらいしか知らなかった」と言っている。

日本にやってきてからは、日露戦争前夜ということもあってだろう、ずいぶんと日本をヨイショしている。
いわく大和魂あれば欧州を越えられる。教育を大事にすればアジアの太陽となれる。日本の教育は素晴らしい、我が国のムスリムたちにも教育が必要だ、等。

日露戦争を経て太平洋戦争へと至る時代の大東亜主義に合致する発言をしていたようだ。それも自発的に。当時の日本のイケイケドンドンな雰囲気に飲まれていたのかもしれない。あるいはロシア嫌いから、対ロシアでとしての日本に期待していたからか。

伊藤博文などとも会談していて、一介のロシア人としては破格の扱いを受けているように見えるが、当時の日本としてはロシアの情報を持っている(メディアともつながっている)イブラヒムを巧いこと利用したかったという意図もあったのだろう。

しかしイブラヒムの意図は、世界中のムスリムを一つにすることだった。
勤勉で礼儀正しい日本を褒めながら、「ただ一つ、アッラーへの信仰が欠けている」と評する。アジアにもイスラムが広まればいいのにと本気で思っていたのかどうか。西洋=キリスト教 に対する敵意を持ちながら、西洋と対抗するアジアに期待をかけ、アジアを一つに統一しようとする当時の日本の帝国主義に賛同していたようだ。

もちろん現実は、そううまくはいかない。満州、韓国と併合していった日本の支配がそう長く続かなかったこと、現代まで禍根を残したことは今更言うまでもない。西洋列強の植民地支配を押し戻すために、バラバラになっているムスリムが一つにならねばならない、というイブラヒムの考え、アジアを一つにという当時の日本の考え、それは一つの選択肢であり、必ずしも間違いとは言えない。しかし結果だけ見れば、併合を指揮した人々の願ったものは理想に過ぎなかった。

幾つもの挫折を味わったはずだが、イブラヒムの精力は衰えることを知らなかった。
イスタンブールを訪れ、トルコ国籍を得るが、80歳を越えてから再び日本へと訪れている。そして1944年、日本の第二次世界大戦での敗戦濃厚な中、日本で死去。94歳の大往生だった。彼は、自らの「ムスリムを一つに」という理想の敗北を見ることはなく、世界大戦後の新しい世界も知らないまま逝った。

実現不可能な理想を掲げ、一生を情熱的に生きた知られざるトルコ人の生涯を通じて見えてくるのは、ナショナリズムの時代と言われた19世紀〜20世紀の理想の残り火かもしれない。

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