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zoom RSS 震災一周年 ーあの日 僕らはいつものように 笑って泣いて 

<<   作成日時 : 2012/03/11 00:10   >>

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東日本大震災から今日で丸一年。亡くなられた方のご冥福をお祈りするとともに、生き残った皆様に置かれましては一日も早くかつての生活に近づけますよう願っております。


M8を越えるような大地震の場合、だいたい一年で同程度の余震がくるとされ、その意味でもそろそろ節目となります。余震がないなら別の地震が起きる可能性は高いままです。地格変化によって日本近辺の断層が活発化しており、他にも地震が起きやすくなっているのではないかという話もあったりなかったりですが、私のそう長くもない今までの人生からしたって、デカい地震は何度もあったわけで、たぶん日本で寿命を全うするなら、死ぬまでにもうニ、三発はデカいの食らうはず。

まぁ地震はいつ起きるかわからんもんだし、人間死ぬときゃ死ぬんで。
いつか自分も「大地震で亡くなられた方」に名を連ね、冥福を祈られる側になるかもしれない、そんくらいは世界一の地震大国のひとつ日本で暮らす以上は冗談ではなく考えておいて損はない。人は自分の死に方を選べない。


そんなこんなで一年が過ぎて、振り返ってみると、あの日の俺らはまぁちょっと呑気すぎたよな…。


ばかでっかい揺れで椅子のキャスターががくんがくんなってる中、最初の10秒はそれでもパソコンに向かっており、10秒過ぎて揺れがヤバいとなったあたりでようやく机の下に潜り、第一波が収まってからすぐに打合せに戻るというわけのわからないことをしていた…。

ガラス割れてるわエレベーターしまってるわ防火扉誤作動してるわでテンヤワンヤの中、それでも会議を続けた僕らは一体なんだったのか。

テレビを見ていれば分かったであろうコンビナートの炎上も、押し寄せる津波も、あのときあの場にいた全員が知りもしなかった。テレビもラジオもないのだからしょうがない。ちなみにそのとき我々は、「関東大地震かねえこれ」「いやーそれにしちゃ小さくない」などとかなり勘違いした会話を交わしていたのだった。

津波で街が流されているその瞬間も、平然と押し迫る目の前の仕事のスケジュールを話しあっていたんだから、後から思うと意味不明だが、予想外の出来事に直面すると、人はわざと平然を装おうとするものなのかもしれない。
ちなみに定時で帰宅したのは私くらいなもので、納期に遅れそうなチームの人たちは残業すると言って残り、帰ろうとした人たちも、電車止まってるとかタクシー読んでも来ないとか、そんな話だけをしていた。

携帯で動画を見ることもできるご時世、なぜ事態に誰も気づかなかったのかは未だよく分からない。
いくら現場が必死の様相を呈していたにしろ。



事態にようやく気づいたのは、地震発生から5時間あまりも経った後、新橋駅前のテレビモニターで、大炎上するコンビナートの映像を見た時だった…。




あれから一年、何が変わったかというと自分はとくに何も変わっていない。

もともと登山グッズの延長で避難用品や携帯食料は家に常備だからそのへんは特に変わりない。(が、野営グッズはそもそも家に帰りつけないと役に立たないことに気づき職場にも置くことにした。)変わったことといえば、また家まで歩かされることを考慮して、新しく買ったパンプスのヒールがやや控えめであるというくらいか。

しかし街は、というより日本は、少しだけ変わったと思う。

大きな変化は貿易赤字大国に転落したことである。


続く円高に、原発停止による火力発電用燃料の大量輸入。日本は資源を持たないが、世界でも有数の「資源を消費する国」なのである。輸出で稼いだ黒字を、高騰する燃料の輸入で食いつぶす。もはや日本はかつてのように発展を続ける未来ある国ではない。

今現在、日本という国は、今まで溜め込んだカネで、資源を必要とする多くの国々から資源を高値で奪いとっているのである。奪いとったそれを燃やして、ゆくぬくと暖房にあたり、明るい光の下で安穏と暮らしている。

それを良しとすることを肯定するならば、世界は平等などではないことを知るべきだ。この世界には、この地球には、いま生きている人間すべてが、皆同等の生活水準で苦労なく暮らしていけるだけの資源は存在しない。誰かが豊かに暮らせば、誰かが叩き落とされる。それが回避不可能な現実だ。嫌なら自分が死ねばよい。先進国の人間ひとりがいなくなれば、その人が消費するはずだった資源で発展途上国の何十人もが活きていけるだろう。

震災の現実も、理想主義者にとっては現実となり得なかった。理想主義者は極端から極端へ理想を転換させるだけだ。決して自分の過ちは認めない。今必要なものは何なりか、何が未来を開くのかを考えもせず、ただ過去の過ちばかり声高に責める。彼らに未来をつくる力などないだろう。

原発の老朽化は何時かくる問題だったにせよ、だからこそ古いものは潰して新しく安全なものを建てる必要があったのが、それが出来るようになるまでどのくらいかかるのだろう。自分たちの生活水準は一切下げず、多くを求め続けながら国に足枷をはめようとする理想主義者を私は好まない。



現実主義者は理想主義者から憎まれる、とある作家は言っていたが、どうして私もけっこうな理想家だと思う。ただその理想とは、この国に暮らす人々が、自分たちは加害者であることに堂々たれ、という理想なのである。
誰にも思うように生きる権利はある、その生が他者から奪うことでしか成立しないなら、それを肯定して何が悪いのか、と。


もしもそれが嫌だというのなら、自分たちが痛みを背負うしかない。
かつての日本が選んだ道がそうだった。燃やして電気に変える資源を他国から奪うかわりに、少ない資源でも発電を続けられる危険な燃料で原子力発電所を建てたのだ。

その選択肢が間違いだったとは私は思わない。資源もなく、カネもない国であれば今尚それは経済発展に必要な電力を生み出すための、最後にして唯一の選択肢となりうる。カネで産油国の頬をひっぱたいて発展と滋養国のぶんまで燃料を買い込む国の分際で、発展途上国から今から建てようとしている多数の原子力発電所を笑うものは恥を知るべきだ。


この大地震は1000年前にも来たという。しかしその時は化石燃料の需要はまだ無かった。国際社会とのグローバルな関係も存在しなかった。この一年、日本が体験しつづけてきたことは、この国が生まれてはじめて体験する、はじめての新しい試練なのだろう。

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