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zoom RSS 史実としてのダルタニャン ―17世紀フランスの騎士道精神と銃士隊―

<<   作成日時 : 2012/01/05 00:10   >>

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「デュマは嘘つきだと先生はおっしゃいましたね」
「その通り」とぼくは椅子に戻りながら認めた。「しかし天才的な嘘つきだった。並の嘘つきなら単純に盗作するところだが、彼は今日もなお生命を保つ虚構の世界を創造した…彼が頻繁に繰り返していた言葉がある。<<作家は征服するのであって、盗むのではない。それぞれの土地を自分の帝国の一部に組み込み、自分の法律を課し、さまざまなテーマや登場人物をそこに詰め込み、自分の影でその土地を覆うのだ…>>」

呪のデュマ倶楽部/アルトゥーロ・ペレス・レベルテ/大熊榮訳


映画「三銃士/王妃の首飾りとダ・ヴィンチの飛行船」は、特に語るべきこともないが大衆娯楽映画としては及第点だった。何も考えずにまったりポップコーンでも食べながら見ていればいい派手なだけのドタバタ劇。しかしこれは原作からしてそういうもので、「三銃士」はもともと新聞に連載された大衆娯楽小説である。

「三銃士」は、もちろん大衆娯楽小説である以上、実際の歴史の筋書きを忠実にたどったわけではない。
だが、有能な宰相リシュリューが悪役になり、互いに面識のなかった三銃士とダルタニュンが友誼を得たとしても、非難されるべきことではない。冒頭でレベルテが「デュマ研究家」にいささか皮肉めいた語り方をさせているのを見るまでもなく、「彼は歴史を侵犯し、史実をねじまげたが、歴史を犯し、優れた赤ん坊を生ませたではないか」と、いうことになる。結果的にこの作品は、世界中で一定のファンを獲得しているからこそ今なお読み継がれる作品として生き残っているのだ。


前置きが長くなったが、要するに、いまや世界中で読まれている「三銃士」は、歴史的な元ネタは薄いが、一定の史実も含むファンタジーなのである。
他の歴史・伝説の類がそうであるように、三銃士の元ネタも辿っていくと元になった実在人物がかなりショボかったりあまりカッコよくなかったりでガッカリすること請け合いなのだが、そこを、この本の著者はいかにも魅力的に話を盛り上げてくれる。

ダルタニャンの生涯―史実の『三銃士』 (岩波新書)
岩波書店
佐藤 賢一

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著者の佐藤賢一氏は、学者ではなく作家である。「カエサルを撃て」や「双頭の鷲」の人、と言えば分り易いか。
歴史家が書いたものは厳密な資料にこだわり過ぎてあんまり面白くなかったりするが、その点、作家さんは文章も上手ければ盛り上げ方も心得たものである。(史実のロビン・フッドについて書かれた本も、この人に書きなおして貰いたいくらいだ…。)

どうせ話題になっているのは、歴史の中ではほとんど取るに足りない者として扱われている地方小貴族の小倅で、最終的にルイ14世の寵愛を得て出世したとはいえ同時代の出世頭たちの中ではとりたてて目立つ存在でもない記録の少なめな人物なのだから、記録に残っていないスキマは空想と筆力で埋めなければ一冊の本にはならない。それも、周囲にいる歴史的に重要でキャラの立っている人物たちに負けないように書かなくてはならないのだから大変だ。少なくとも佐藤氏は、この挑戦に成功しているように見える。

この本では、史実としてのダルタニャンを、忠義に厚く、人情に厚く、仕事一徹のあまり家庭も顧みず、最後には去りゆく時代とともに軍人として戦場に倒れる「古き良き騎士時代を体現する人物」として描いている。斬新な見方だと思うし、ある意味、「三銃士」の物語の中のダルタニャンに忠実である。確かに時代は変わりつつあった。フランス黄金時代の訪れとともに、銃士隊のみならず、貴族、王、国といったもののあり方は意味を変え、史実のダルタニャンがこだわり続けた「自分の流儀」は過去の遺物になりつつあったのかもしれない。

フランス革命が起きるのは18世紀末。
ダルタニャンの死後、約百年経った後のことである。

******

オチが未だに納得できないけど面白い小説とか。

呪のデュマ倶楽部
集英社
アルトゥーロ・ペレス・レべルテ

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