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help RSS サルマティア・コネクションの元ネタを見つけた。

<<   作成日時 : 2009/06/21 16:16   >>

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先日からネタにしている本、著者はC・スコット・リトルトンと、リンダ・A・マルカーとなっている。

部分的にやたらシッカリした記述の部分があるので何か元になった別の人の研究があるのだろうと思ったら、やっぱりあった。ヘルムート・ニッケル(Heimut Nickel)、初出は1975年。当時メトロポリタン美術館の館長。本の末尾で挙げられている参考文献の中で、ニッケル氏ものは4つ。


Nickel,Hermut.1973."Tamgas and Runes,Magic Numbers and Magic Symbols."
Metropolitan Museum Journal 8:165-173.

Nickel,Hermut.1975a."Wer waren König Artus' Ritter? Über die geschichtliche Grundlage der Artussagen."
Zeitschrift der historischen Waffen-und Kostümkunde 1:1-18.

Nickel,Hermut.1975b."The Dawn of Chivalry."
Metropolitan Museum of ArtBulletin. 32:150-152.

Nickel,Hermut. 1983. "About Arms and Armor in the Age of Arthur."
Avalon to Camelot 1/1:19-21.


この内容でググってみて内容をだいたい把握。

ニッケル氏が自分の得意な武器甲冑のジャンルで「中世騎士の装備の元は、サルマティアの重装騎兵ではないか?」と唱え、それに乗っけてリトルトン氏がサルマティア人の子孫であるオセット人の神話とアーサー王伝説の類似点に注目し始めたものらしい。ニッケル氏の研究は問題なさそうだ。武器甲冑の進化と、実物を挙げての類似点の推測だから…。ただ、武器甲冑の製造技術(物証あり)がブリテン島に伝わったとするのと、神話伝承(物証なし)が伝わったとするのは、同じ信頼性を持てる話ではない。

ていうか、著者リトルトン氏はアラン人は騎馬民族だから身軽で機動性に優れていると書いてるわけだが、元になってるニッケル氏の研究では、「サルマティア人の、うろこ状に金属を重ねた重装鎧が」西洋騎士の甲冑に取り入れられたのかも、と言ってるので、意味が真逆なんだよな(笑)


ここまで来ると話が繋がった。

サルマティア人の重装鎧が騎士の鎧に取り入れられた可能性は、確かにある。だが、それには西ゴートと一緒にスペインに住んだアラン人も、ブリテン島に傭兵に行ったアラン人も、多分あんまり関係ない。
以下、「ゲルマンとダキアの戦士―ヨーロッパと戦った人々」(新紀元社)という本からの抜粋。

紀元前5世紀頃に至っても依然としてユーラシアのステップに暮らしていたのは西にスキタイ人、その東側にサルマート人、その東方にサカ人だった。おそらくは中国の西境地帯における遊牧民に対する軍事行動が引き金となってステップが動き始めた。サルマートは西へ移動し、スキタイ人を壊滅した。生き残ったサルマート人はドナウ川流域とクリミアへ逃げた。紀元前2世紀も半ば頃になると、サルマート人はヨーロッパではヤジギ族とロクサラン人として、東に残った者たちはアラン人としてその名を知られるようになった。サルマート人がスキタイ人を倒せたのは戦士も馬も完全武装の超重装騎兵隊を編制して戦闘隊形に組み込んだためと信じられている。こうした「カタフラクテス」<cataphract>は昔ながらの騎馬弓兵がつくる隊形の傍らで敵をたじろがせる役目を担った。


2世紀の後半、ゴート族はかつてサルマート・ロクサラン人の領地であったドナウ川の北側、東はトーリック半島、あるいはクリミアに至る黒海沿岸にまで領地を広げていた。ゴート族はこのサルマート・ロクサラン人から重騎兵、コントス<kontos>(長く重い槍)、そして鐙の使い方を学んだ。

<中略>

ゴート族はその残忍な戦いぶりでサルマート人を屈服させたようだ。おそらく馬の腱を切断したのだろう(ゲルマン人の戦法)。こうしてゴート族は従来の歩兵大隊を援護する重騎兵を備えることにより、当時はゲルマン人、イリュリア人、そして北アフリカ人が編制の大半を占めていた3世紀のローマ軍に立ち向かったのである。



情報を整理すると…

●アラン人の祖先であるサルマート人は、独自の戦法である戦士も馬も完全武装の超重装騎兵隊
(ただし、その自慢の重装備も、フン族の強弓なら貫通させることが出来た。のちにフン族に敗北)

●サルマート人の馬の腱を切ってゴート族勝利。戦法と騎馬技術を学んで重装騎兵隊を獲得。

●ここに書かれた歴史の後、東西ゴートの運命は距離を隔てる。西ゴートはスペイン方面へ…

  ↓↓

重装備で騎乗したまま戦う騎士の戦法がサルマート人から伝わったものだとしても、3世紀の時点でゴート族の戦法に取り入れられているので、サルマートの子孫たるアラン人がいなくても、同じ戦法をとる集団がそこかしこに居たことになる。


というわけで、重装備で戦う兵士がゴート人かサルマティア人(アラン人)かを区別する方法は、サルマティア特有のシンボル、たとえば戦いの際に掲げたとされる「吹流し」などに頼るしかない。石に刻まれた図で吹流しが描かれているか否かが重要視されているのは、そういうことだろう。

そして、著者が「ブリテン島にサルマティア人が住み着いた」と言っている根拠は、サルマティアの傭兵隊が住み着いたとされる場所の近くで見つかった墓石に、吹流しを持って馬に乗った兵が描かれていたから。そういうことらしい。ただし、この説も真新しいものではないのでここは飛ばそう。

サルマティア人の話からいきなり飛ばされる先「ルキウス・アルトリウス・カストゥス」について続ける。

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本ではサラッと続けて書かれていたが、ルキウス・アルトリウス・カストゥスという人物は「騎馬部隊」の隊長だった→ローマに雇われた騎馬部隊ならきっとアラン人!→その隊長のルキウスもきっとアラン人に関係しているはず! …という、結構無茶な推測が間に入っている。

「アーサー王の元ネタの一人かもしれない」ルキウス・アルトリウス・カストゥス(Lucius Artorius Castus)について元の研究をしたのは、ケンプ・マローン(Kemp Malone)。初出は1924年。

Malone,Kemp.1924 "The Historicity of Arthur."
Journal of England and Germanic Philology 23:463-491

Malone,Kemp.1925 "Artorius."
Modern Philology 22:367-377

Lucius Artorius Castus についてはWikipediaにも載ってた。


「アーサー」という名は元々ブリテン島では"あまり"使われたことのない名前だった。(皆無ではないことに注意)
が、5世紀の終わりと6世紀の初め、その名を持つ王族が6人いたことがわかっており、突然人気が高まっている。ということは、その直前の時代、誰か「アーサー」という名前の人気のある人が生きていたのだろうとされる。

それに先立つ2世紀後半から3世紀ごろ(正確には140-200年ごろ)、アーサーのラテン語形にあたるアルトリウスの名を持つ兵の指揮官が、ハドリアヌスの城壁の警備にあたっていた…とされる。「される」のは、ブリテン島へ行く前は騎兵隊の指揮官だったことがわかっているものの、ブリテン島へ行ってからの役職名が不明だからだ。

アーサーという名の人気の高い「誰か」が生きた時代は、アーサーという名が人気になるより前でなくてはならない。しかし、該当する時代に生きたことが確かな「アーサー(アルトリウス)」という名の人物は、今のところ、このルキウス・アルトリウス・カストゥス一人だけ、しかも軍事関係者とは言ってもあんまり有名人ではない。
さらに3世紀と時代が早く、そもそもこのアルトゥスがローマに命じられてブリテン島の警護に当たっていることから判るように、まだブリテン島はローマの保護下にある。サクソン人が攻めて来てブリテン島がピンチ! ではないし、英雄を求める時代でもない。

そこで登場するのが「リオタムス」、まさに英雄が求められた時代に生きた人物。
記録に残るリオタムスというのは称号だから、彼の本名がアーサーとかアルトリウスとかだったのだろうと推測する説がある。もしくは、アーサーという名でなくても構わない、先のルキウス・アルトリウスの名前と、リオタムスの業績をミックスして「アーサー王」という英雄が作られたのではないか、とする説があるのだ。

この説の難点は、ルキウス・アルトリウスがアーサーの原型だとすると時代が古すぎること。リオタムスがアーサーの原型だとすると、業績はあるものの、最期が情けない。調子に乗ってガリアに遠征してフルボッコにされて戦没したのでは、伝説になるには少々苦しい… という点である。


これら、ルキウス・アルトリウス・カストゥスに対する研究内容も、やはり特に問題はないように見える。
彼がサルマティア人だったなどと断言されていないし、彼に同じ名前を持つ養子がいたとか、子孫がいたとか、そんな空想物語は誰も書いていないからだ。

ここを、数段すっ飛ばして 「サルマティアの騎兵隊の人にアルトリウスと名乗った人がいたはず!」と書いたのが、「アーサー王伝説の起源 スキタイからキャメロットへ」のP94-95の不可解な記述、というわけ。^^;




ちなみに、アーサーを意味するケルト語としては、「Arth(アルス=熊)」がある。アーサーという名はケルト語の熊という言葉から来ている、というのが現在の最も一般的な説だ。
しかしながら、ラテン語の「Artorius (アルトリウス)」から「アーサー」になったのか、もともとケルト語にあった「アルス」に近い名前から「アーサー」に変化したのかは、どっちも在り得るから判断は難しい。ケルト語起源説が完全に退けられたこともなければ、その説にだけなんがるわけでもないので、そこは注意すべきだろう。

※著者が書いているように、ケルト語源説に重大な問題があって可能性が著しく低いということでは無い。


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というわけで、本の内容はアレでナニだったが、元になっている複数の研究は、かなり確りした内容で、それなりに権威のあるものではないかと思う。

本の中で物凄い駆け足で流されている様々な要素は、探せば、元ネタになった研究の人が見つかると思う。部分的に正しい内容が入ってるのはそういうことだ。逆に言うと、やたらと偏向している部分が著者のオリジナルなのではないかと(笑)

元研究は物凄く判りやすくて納得のいく話なのに、それらを統合したはずのこの本は、都合のよいところだけ切り取ろうとした結果、残念な出来になってしまっている。構成も悪い。まずは事実だけ淡々と並べて、そこから推論を開始すればいいのに、事実と過去の研究を述べる前に推論を書いてしまっている。そもそも推論部分も、空想で語りすぎだと思うんだが。


私には無理だが、同じ資料を使って、同じ方向性で、この著者たちの何倍も面白く、かつ判りやすい本を書ける人はきっといると思う。最大の難点、「ブリテン島の空白期間」、神話・伝承も歴史記録も残っていないいわゆる”暗黒時代”については、何一つ確実な証拠など無い… という点に十分に留意して、可能性はあくまで可能性として推論を謙虚に行えば、もっと賛同者を増やせる内容に出来るのでは?

素材が面白そうなだけに、著者がホップステップジャンプで推論に推論を重ねて飛びすぎてるのが残念な気分だ。この説は、本当はもう少し出来る子のはず。^^;

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