中世エジプトはメッカ巡礼のための拠点だった。~古来からの観光都市のお仕事

イスラム教徒は、生涯に一度はメッカ巡礼をしたいと思うもの。
という話はよく知られているし、現代においては巡礼はだいたい飛行機で現地まで行くものだが、近代以前の飛行機のない時代には、船で海路から乗り付けるのが一般的だった。

というのも、陸路だとベドウィンなどの盗賊に襲われやすいからなのである…。
そしてサウジアラビアの地理上、海沿い以外はガチに砂漠なので、陸路だとしても海沿いに南下するしかない。

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海路で行く場合、中継地点はエジプトの紅海沿岸の港になる。
紅海沿岸にはローマ支配時代にインドとの貿易港として栄えた港があったことからも判るように、紅海航路はある程度、人々に慣れ親しまれたものであった。
使われた港は主にクサイル、サワーキン、アイザーブの三つで、時代ごとにメジャールートは少し異なるが、まずカイロまでナイルをさかのぼり、準備を整えてからエジプトの東部砂漠を越え、目的の港からメッカの最寄り港であるジェッダまで、あるいはもっと手前の港まで渡ったのである。

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(出典元:地中海世界の中世史・ミネルヴァ書房)


このルートを裕福な巡礼者が利用することで、ルートに接続する地域が富む仕組みがあった。たとえば、マリ王国のマンサー・ムーサー王が利用した際に、多量の黄金がバラまかれたことは有名だ。
また、地中海とアラビア半島南部を繋ぐ交易のルートでもあり、イエメンやエチオピアのコーヒー文化は、このルートを伝ってオスマン帝国まで辿り着いたのだろうと言われている。

メッカ巡礼、という道を通じて、エジプトは、中世以降、近代まで、地域と地域、人とモノを繋ぐ接続点であり続けた。
そして遠くから巡礼してきた人たちは、当然、カイロで滞在する間にピラミッドやスフィンクスを見ただろうし、現地のエジプト人から真偽の定かではない与太話のような神話を聞かされ、まがい物の土産品を売りつけられたり、ボッたくりに合ったりしていたはずなのだ。

カイロという街には、ギリシャ人の入植やローマ支配時代だけでなく、その後の、イスラムの時代においても、人々が頻繁に行き来していた。二千年以上に及ぶ観光都市としての歴史がある。それも、言葉が通じるかも怪しい異文化の人々が、常に一定数訪れていた街なのである。
これから首都機能は移転しようとしているけれど、あの街から観光という産業がなくなることは、きっと無いんだろうな…と思うのである。