アラブ人移民が来る前のヌビア地域はどんな場所だった? 古代の人骨から見る世界の繋がり

この論文はなかなか面白いな、と思ったのでメモ。
ヌビア地域というのは、ざっくり言うとナイル川上流ののエジプト北部とスーダン南部地域で、古代エジプトの時代にはエジプトの南の支配地域、植民地か属国のような扱いだった場所。
6世紀以降は紅海からイスラム教徒/アラブ人が移住してきて優勢となるが、それ以前にはキリスト教徒の土着民が多かった。

Social stratification without genetic differentiation at the site of Kulubnarti in Christian Period Nubia
https://www.nature.com/articles/s41467-021-27356-8

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今回り調査で判明したことは、その土着民というのが、ナイル川を通じて東地中海沿岸世界、特にレバントと呼ばれているシリア・パレスティナ方面からやって来た人々の遺伝的な影響が強い、ということ。
ここから、ナイル川を遡って移住してきていた人々が一定数いただろうと判るのだ。

分析されているのは、地図にあるクルブナルティ( Kulubnarti)という遺跡の墓地から出てきた66人分の骨。キリスト教徒の墓地なので、アラブ系移民ではないはず、という判断だ。
内陸アフリカ的な遺伝情報は4割、残りがナイル川伝いに移住してきただろうレバントの集団からの遺伝情報、というのだから驚きだ。
しかも移住してきた集団の遺伝情報は母系、つまり女性の移住者が多かったことを示しているようで、長年エジプトの支配下にあってエジプトから軍人が送り込まれていたこととは、あまり関係なさそうなのだ。男性とともに、まとまった女性の移住者もいた、ということなのだろう。

なお、現代のアフリカと西ユーラシアの人間集団の間に、この遺跡の人骨をマッピングすると、こんな感じになるようである。
※古代エジプト人は古代人の遺伝情報(母数は数人)だが、それ以外の「レバント」や「エチオピア」などは現代人の情報

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古代のエジプト人がアジア系の傾向が強く、そこからナイルを遡ってアフリカ内陸に行くにつれアフリカに特徴的な遺伝情報が多くなる、というのは、実際に現地の人の雰囲気からしても納得の結果かなと。
ていうか前から言ってるけど、ヌビア人って、たぶんアフリカ内陸的なイメージの「黒人」ではないんだよ…。古代エジプト第25王朝のヌビア人王たちも、本当は「ブラック・ファラオ」では無かったかもしれないんだよ。

で、この話が興味深いところは、地中海世界からアフリカ内陸へのキリスト教の伝播は、人の移動を伴っていた可能性があると言えそうな部分なのだ。

今回分析されているヌビアの遺跡もそうだが、ナイル上流のアフリカ内陸部、水源であるエチオピアに至るまでの地域には、キリスト教誕生書記からキリスト教が浸透していた。宣教師が行って布教したわけではない。というかそもそも、宣教師的な人々が組織だって存在したかも微妙な時代だ。
移住者の集団がナイル川沿いに南下していった結果、自然に広まっていったのだとすれば、遺伝情報と宗教の広まりはリンクしているかもしれないな、と思った。

ちなみに、青ナイル最上流のエチオピアには、原始的なユダヤ教を保持する「ファラシャ」と呼ばれる集団がいた。「黒いユダヤ人」とも呼ばれた人々である。現在はほとんどがイスラエルに移住してしまったため現地には残っていないが、彼らはもしかしたら本当に、トーラーが成立する以前の古い時代に移住したユダヤ人集団の子孫だったのかもしれない。(さすがに二千年も経てば、かなり混血はしていそうだが…)

あと、以前にも少し書いたが、ナイル上流地域に伝わる「聖家族がイスラエルから避難してきたことがある」は実は一部は真実だったかもしれなくて、本当にイスラエルなど東地中海沿岸地域から、迫害を逃れて移住してきた、初期キリスト教徒はいたかもしれないと思っている。

あと最後の方に出てきているが、エジプトの影響が薄まる時代から紀元後にかけて、この地域に発展するメロエ文化の担い手との関連も気になるところだ。


これもまた、現代科学が明らかにする、古代の知られざる歴史の一端といえるだろう。

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※参考

知られざるヌビアのキリスト教・三王国時代の教会跡が見つかる。
https://55096962.at.webry.info/202106/article_4.html

エジプトより上流地域のキリスト教圏にある「聖母マリア」伝説、もしかして一部はイシスかもしれない。
https://55096962.at.webry.info/202109/article_16.html