古代エジプト・知られざる紀元前4千年紀「白色交線文土器」

見慣れてるし、何ならわりと好みだったあのツボの独特の模様、実は名前あったらしいんですよ…
え?! 君そういう様式だったの? みたいな。だけど日本語でググっても出てこなかったので、自分で書いて置いときますね…

White cross-lined または C-Ware
→和訳では「白色交線文」

こういうやつですね!!

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https://www.metmuseum.org/art/collection/search/547264

時代見て判ると思うんですが、これ、ナカダ1期~2期初頭くらいまでしか作られていなかった様式。王朝時代に突入するのが紀元前3,000年くらいかならわけで、それより千年も古い、王朝の原型が作られる以前の時代のものなんですね。
しかもナカダ期の頃はまだエジプト全土が統一されておらず、地域文化が色濃く残っているので、この土器はナイル上流地域、それもナカダとアビドスの周辺でしか作られていない。

作られていたのは、紀元前4,000年~3,500年頃。
つぼに描かれているのは波のような線であることがほとんどだが、これはナイルの流れを表現しているものと解釈されており、カバやワニなどの川べりの生物、スゲらしき植物などが加わることもある。ナカダ期の特徴である洗練された動物の意匠がふんだんに盛り込まれている。


のちのエジプトの定番というべき文化とも微妙に違ってて、なんというかこう、ファンシーさがある。
こういう、「これ夜中に歩くやつでしょ…w」みたいなのもあったり。かわいい。

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https://www.metmuseum.org/art/collection/search/547266?rpp=30&pg=16&rndkey=20150803&ft=*&when=8000-2000%2BB.C.&what=Ceramics&pos=476&imgno=1&tabname=object-information

このデザインは、ナカダ2期の途中から、ナカダ文化がエジプト全土に広まっていく過程で消えてしまうのだという。
もともと土着の内製的な土器でそれほど価値が高くはなかったのが原因だろう、という。発掘で出てくるなら墓の副葬品だから、副葬品としては、のちに作られるようになった、もっと価値の高い土器、ないし石器が使われるようになった、ということだ。(なので、これらの壺は、その後も家庭では細々と作られ続けていた可能性が残る)


古代エジプトの歴史の中でも、紀元前4千年紀の資料ってあんま出てこないし、まだ文字もなければ目立つ王権も成立していないので「歴史」として追いにくいんだよね…。でも、こういう美術品は好みのやつが多いんで好き。