古代エジプトの税収機関に必要なもの「船」

エジプトは、ナイル川沿いにしか人が住めない国だ。川べりの水の手に入る場所を除けば、大半は居住不可能な砂漠。オアシスなど多少人が住める場所はあるものの、現代に至るまで、人口のほとんどは川沿いに集中して暮らしている。

そんなエジプトでは、船は主要な交通手段の一つだった。
なにしろ川沿いの土地が狭いので、荷車とか使うより船を使ったほうが便利。ナイル川が、エジプトの主要幹線道路だと言われる所以だ。

そしてどうやら、税金(=主に穀物)も、この川を、船を使って収集されていたようなのである。
たとえば新王国時代には、収穫期に領地から穀物を徴収し運搬するためにアメン神殿から20隻から30隻の船が差し向けられた、という。(「船とナイル」學藝書林)

…ということは、古代エジプト世界には、大量の業務用船があったことになる。

ナイル川の幅は広い。
神殿の倉庫がある側の岸辺に畑があれば船はそれほど必要ないかもしれないが、もし対岸から穀物などを運搬するのであれば、当然、それなりのキャパを持つちゃんとした木造船を用意しておく必要がある。


また、古代エジプト文学の「生活に疲れた者と魂の会話」では、畑仕事を終えた男が、収穫物を舟に積んで引っ張って家路を急ぐ、という表現が出てくる。(「エジプト神話集成」ちくま学芸文庫)

これはおそらく個人の家で作っているパピルスや葦を束ねた小型のボートのようなものだと思うが、川から続く水路などで荷運びに使用している船もあったということなのだろう。荷車を使うべきところが小舟になっている、というわけだ。

神殿や政府が税の収集を行うためには、これら大小の船が必要。物流なくして、穀物は中央に集まっては来ない。
これは、考えてみるとなかなか面白いことだと思う。現代に残っているのは、墓の副葬品にされた儀式的な船がほとんどで、行政に使われた「業務用の船」など、ほとんど残っていないからだ。そして、各町、各村にあったはずの「波止場」のことも、ほとんど知られていない。

中の人も、ぱっと思いつくのはルクソールの街の船着き場があったとされる場所と、ピラミッドの麓に残っている石材を運び込んだとされる水路くらいだ。
あとは、紅海沿岸にある、シナイ半島から銅を搬入していたとされる港の跡とか。


業務用の船は、形としては残っていないものの、無ければ物流が成り立たないという意味で、古代のすべての時代において大量に存在したことは確実だ。その船は果たしてどんな形で、どんな風に運用されていたのだろうか。興味は尽きない。