「縄文時代は植物利用をしていたけど農耕ではない」という議論に見る日本特有の視点について

タイトルにつけたそのまんまの議論は、日本の考古学の話ではよく見かけると思う。
これに対してざっくりと、農耕を縄文時代と弥生時代の境目にしたいために、「縄文時代の農耕は考古学的な意味では農耕ではない」と理屈をつけているのが現状なのでは? それ全世界規模で見ると日本独特の定義じゃね? というツッコミをしたい。

…とまぁ、ざっくりすぎると何がなんだか分からないので説明しておく。


縄文時代にはクリ林を人工的に作るなど、周囲の環境を人為的に変化させ、様々な植物を栽培していたことが分かってきている。かつては「縄文時代=狩猟・採集、弥生時代=農耕・牧畜」だったのだが、もはやそう単純な話ではない。縄文時代にも農耕はやっていて、弥生時代にコメを作り始める基盤は既に出来ていたわけだ。

にもかかわらず、「縄文時代の植物栽培は農耕ではない」と主張する考古学者は少なくない。

その根拠となるのが、「社会構造が変わらないなら、農耕とは呼べない(呼ばない)」という、日本の考古学独特の主張である。
一般的に辞書を引いて出てくる「農耕」と、日本の考古学者の定義している「農耕」の意味が違うのだ。なお、ここで、くどいほど「日本の」と繰り返しているのは、世界的に見てその基準は独特すぎると思うからなのだ。

通常は、イモだろうがカボチャだろうが、人間の手で植物のタネをまいて収穫して、またタネを撒く、というサイクルを繰り返していれば栽培化だし農耕だろう。なのに、穀物じゃないと農耕じゃないとか、全食物中に占めるカロリーが高くないと農耕の始まりと認められないとか言っているのは、はたから見ているとヘリクツ以外の何物でもない。


まず考えなくてはならないのは、植物の栽培方法、つまり農耕には、二種類ある、ということである。


 A. 人間がそれほど手をかけなくても、ほっとけばそれなりに育つもの

  例)イモ類、カボチャ、トウモロコシ など

  B. 人間が手をかけないと効率的に育たないもの

  例I)灌漑の必要な地域での麦、水田の必要なコメ など


人類が最初に始めた農耕は、当然の如くAのほうである。

麦やコメの栽培は例外的に手のかかる作物だと考えたほうが良い。というか、麦やコメですら、自然に生えている地域では実は栽培に手がかからない。ほっとけば麦やコメが育つので、そのへんに野生の麦が生えていたり、川岸にびっしりコメが植わっていたりする。
密度が低いのでそれほど効率的ではないが、同時に人口密度も低いので問題ない。
Aのタイプの農業は、家族単位でも何とかなる農法なので、別に社会構造や生活サイクルを変えなくても対応出来る。

農耕の始まりによって社会構造が変わるのは、手をかけなければ育たない、という条件のあるBの農耕が伝播して来てから、もしくは、Aの農耕によって安定的に食料が得られるようになって人口が増え、より効率的に農耕を行わないと食料が賄えなくなってから、だ。
皆で力を合わせて畑を作り、水路を引いて、一斉に田植えや刈り入れをしないと収穫出来ない場合は、指揮をとる人の存在が必要になったり、生活サイクルが変わったりせざるを得ない。


AからBへの移行は必ず起きるものではない。選択性である。

なのにBだけを農耕の始まりだと規定されてしまうと、ずっとAタイプの農業しかしていない地域、たとえばニューギニア高地なんかだと、イモ栽培はしているけど農耕はしていないことにされてしまう。カラハリ砂漠のサン族は、スイカの種を撒いておいて狩りに出て、季節になると戻ってきてスイカを収穫するわけだが、それは農耕ではない、とされてしまうと、スイカは近代になってビニールハウスに入れられるまでは一度も農耕に使われたことのない作物になってしまう。

また、アンデス地域では今でも低地にトウモロコシを植えっぱなしにして、高地に放牧しにいくわけだが、穀物を栽培しているにも関わらず、アンデスではインカ帝国以外は農耕をしなかったのか、という話にもなってしまう。

それはおかしいだろう…どう考えても…。
例外処理に出くわすたびにヘリクツ唱えるくらいなら、素直に「作物を人間の手で育てるサイクルがあったら農耕と言っていい」と定義しとくのが無難だろう。

最初に「コメの伝播を時代の区分としたい」という前提を置いて、それに合わせて理屈をこねくり回したようにしか見えない。というか、「農耕とは何か」という日本独自の基準を置く意味が、それ以外に見つけられない。


これと同じような結論ありきの議論を、別の場所で見たことがある。「神殿がある地域は社会構造が複雑で、協力な指導者がいるから身分格差もあるはずだ」というものだ。
しかし神殿はあっても、特に指導者らしき者が見当たらず、複雑な社会構造を持っていたとも言えない文化圏は存在する。ペルーのコトシュ神殿あたりから有名になりはじめた話だ。

「農耕が始まっていれば社会構造は変わるだろう」は、「神殿が作られ始めていれば社会構造も変わっているだろう」と、よく似た議論のように思える。メソポタミアやエジプトなどの、かつてよく研究されていた文明圏のイメージから、そう思い込んでいる/そう規定しようとしているのではいないか。結論を決めてから論を組み立てるとだいたい、何かを見落としてしまうものだ。


日本の考古学は、一定以上の年齢の人はとくに、日本国内にだけ視線を向ける傾向が強すぎると思っている。
周囲をいい感じに海に囲まれていて、国内にひとつの文化圏がすっぽり収まる環境だからなのかもしれないけど…。

その基準は他の文化圏でも通用するの? とかは、検討してみる価値があるのではないかと思うのだ。