ヒッタイト帝国はなぜ滅びたか。もしかして、移民が多すぎたんじゃ…

ヒッタイト帝国がなぜ滅びたか、については諸説あるが、はっきりしていない。

「海の民」に滅ぼされたとするのももう一昔前の話で、多少の難民が襲ってきたくらいで大帝国が滅びるわけが無いだろ、というのが常識となっている。帝国が消滅する前、内政のゴタゴタや天災による飢饉などが重なっていたようだから、政情不安だったところにトドメを刺したのが「海の民」と呼ばれている人間集団ではないかというのが、現在のおおむねの定説となっている。

なお「海の民」は近代の学者が名付けた名前で、実際の碑文ではその言葉は出てこない。多数の部族・民族名をひっくるめた、現代の「通称」だ。

今更だけど「海の民」についてちょっとだけまとめておく。これは民族名ではないですよ。
https://55096962.at.webry.info/202011/article_7.html

で、本を見ていたときふと、「ヒッタイトには捕囚民が多数いた」という記述が引っかかった。
捕囚民とは、「バビロン捕囚」でよく知られているように、ある地域からまとめて人を移住させるというやり方だ。皆殺しにせずに反乱の芽を摘むという意味では、古代世界の中では人道的なやり方だが、生まれ育った土地や文化から引き離されてバラバラな場所に定住させられるのは、現代人の表現だと文化虐殺とか批判されることだろう。

彼らは土地を与えられ、衣食住は保証されていたようだが、権利は限定的で、自由民(ヒッタイト国民)に比べると出来ることは少なかった。与えられた土地から移動することも出来ず、戦争捕虜などと一緒に暮らしていたようだ。
しかも奴隷の数と同等の捕囚民がいたとされるので、これは相当な人数だと思う。…捕囚された人たちも世代を重ねればヒッタイトに馴染むかもしれないが、数世代しか経っていないと、元の土地に戻りたいと願うのではないだろうか。実際、逃亡者もそこそこいたようである。

そんな不満分子を国内に多数抱えた状態で、政情不安が続き、飢饉や天災が起きるとどうなるか。

まあ、…反乱は起きるよね…。


ヒッタイト末期に首都ハットゥシャが放棄された際に、大規模な戦闘の跡はないが火が放たれた形跡がある、とかいうのも、内部の奴隷が火付け・略奪して去っていったんだとすれば納得できる。また、遠く離れたエジプト側から見れば、「ヒッタイト内にいた各種部族が反乱を起こした」としか見えないだろうから、記録にはそう書くだろう。

だとすれば、ヒッタイト滅亡の根本原因は「社会構造に無理があった」になるかもしれない。
(ちなみにエジプトは、奴隷はあまり使わない社会だった。ヒッタイトやメソポタミアで言う奴隷に該当する人たちは、ほぼ居ない)


++++
この本はとてもおもしろいのだけど、学術書なんて売れないだろっていう判断なのか初版が少ない。
はやく増刷するんだ! 後ろでマニア勢が待ってる!

ヒッタイトの歴史と文化―紀元前2千年紀から紀元前1千年紀にかけて - ビリー・ジーン・コリンズ, 山本 孟
ヒッタイトの歴史と文化―紀元前2千年紀から紀元前1千年紀にかけて - ビリー・ジーン・コリンズ, 山本 孟