大航海時代の闇と現実。「大航海時代の日本人奴隷」

大航海時代といえばー奴隷交易!
某コーエーのゲームで三角貿易して大儲けして学習した人たちもいると思います。が、売られていったのは西アフリカの人だけじゃないんだよ、実は日本人もけっこう売られていったんだよ…というお話。
概要などは知ってたけど、ものすごく充実した資料がまとまってる本を見つけて、これは凄いなと思った。ヨーロッパまで連れていかれてそこで解放された奴隷などは、教区の結婚や出生・死亡資料からその後の行方を辿っていたりするのだ。

大航海時代の日本人奴隷-増補新版 (中公選書 116) - ルシオ・デ・ソウザ, 岡 美穂子
大航海時代の日本人奴隷-増補新版 (中公選書 116) - ルシオ・デ・ソウザ, 岡 美穂子

周知の通り、日本はかつて「鎖国」と呼ばれている時代があった。最近では実際はけっこう外部に開かれていたことが知られるようになり、「鎖国」の呼び名は使われなくなってきているが、ポルトガル人の往来を長崎に限るなど外国人の活動を限定していたことは事実だ。そして奴隷の「輸出」も長崎が窓口となっている。

西アフリカの場合同様、日本でも、国内の戦争などで捕虜になったり、食いっぱぐれて奉公先を探していたりする人たちが「人狩り」のような形で集められ、組織的に輸出されていたというのは、知らない人からすると衝撃的な内容かもしれない。しかも布教にやっていたイエズス会が商いに深く関わっていた。当時のポルトガル側宣教師の使っていた辞書には、「ひとかどい」(人をかどわかす職業の人)という言葉すら載っているというのだ。

もちろんこれは倫理上よろしくないので、後々には禁止されていく。しかし禁止されたからといって奴隷交易がいきなり消えるわけではなく、隠れて続けられるということは、南北アメリカの例を見るまでもなくわかりきっている。そうして「輸出」されていった日本人たちは、かつてのポルトガル領、中国本土マカオへ、フィリピンのマニラへ、メキシコのアカプルコへ、インドのゴアへ、そしてオランダのリスボンへと連れられていった。

ちなみにアジア人はあまり区別されていなかったようで、「シナ人奴隷」というときは中国人や日本人、朝鮮人などをひっくるめていることもある、という。

しかしもちろん、日本人は一方的に搾取されるばかりの被害者ではなかった。
大航海時代には、サムライ崩れの日本人傭兵も多数、輸出されていた時代である。サムライたちのバーサーカーぶりは別の本で読んでもらうとして、マカオで大暴れしたサムライ集団がいたり、マニラでは日本人コミュニティが反乱を起こしていたり、ポルトガル領インドで日本人傭兵が増えすぎてポルトガル人が危機感を覚えたために輸入が禁止されたり、と、当時の日本人は必ずしも大人しく現地に溶け込むお上品な性格ではなかったようなのだ。さらに、財を成し、他国の奴隷を従える者もいたという。

秀吉の朝鮮出兵によって朝鮮半島で捕らえられた朝鮮人が日本から輸出された例もあるようで、これも、西アフリカの奴隷が現地人によって敵対部族が故意に輸出されていたという例を思わせる。


善悪で判断するのは視野が狭くなる。奴隷交易が良いか悪いか、という話は置いておくとしても、なんとも言えない気分になったのが、当時のキリスト教徒たちが、奴隷を持つことを「悪いこと」とは思っていなかった、という話である。
子供の奴隷を買うことは、「正しきキリスト教徒としてふさわしい行為」とみなされた。つまりは、未開人の子供に洗礼を受けさせ、魂を救ってやり、文明的な暮らしをさせて育てることは、自らの裕福さ、寛大さを示す行為であった、という。

たぶん多数の日本人は「そんなアホな」と思うだろうが、現代ヨーロッパ人も基本的にこの考え方を踏襲している。

未開地の貧しい人々を支援することが「正しいキリスト教徒の行い」、だから紳士淑女はチャリティーに関わるべきとされる。イギリスの上流階級なんかは特にそうだ。また、アフリカに旅行に行くと、満面の笑みを持って現地人にお金をバラまくヨーロッパ人ツーリストをよく見かける。特に子供のやってるお土産屋さんなんかには意図的にお金を渡している。
ツーリストは自己満足が出来、子供たちも品物が売れて嬉しいだろうが、そのせいで子供たちは学校に行かせてもらえないのである。ナチュラルな差別意識が負の連鎖を生んでいる事例は、山ほど見てきた。

読みながら、自分は、歴史の片隅に消えていった人々のその後のことを思わずには居られなかった。
北アメリカでは、数の多かったアフリカ人奴隷は今でも大きなコミュニティを築いている。南米では、ヨーロッパ系移民の町がたくさんある。けれど、どちらも、大航海時代に連れて行かれた日本人やアジア人のコミュニティの話は聞いたことがない。見たことが在るのは、せいぜい百年前とか、もっと新しい時代の移民の子孫たちの話だ。

彼らの子孫は今もどこかにいるかもしれないが、もはやそれが誰なのかは分からない。年間1000人とも言われた輸出された人々の行方は、歴史の闇の彼方なのだ。


この本の最後は、この言葉で締めくくられていた。

"それでも、彼らはどんな環境でも「生きる」ことを選んだのであり、これまでの歴史研究上、ほとんど省みられることのなかった存在である彼らの、日常の喜びや悲しみがわずかながらでも後世の人に知られ、その存在を多くの人に身近に感じていただけたら、と願っている。"